blog

呉越春秋 闔閭内伝
至今後世,即山作冶,麻絰葌服,然後敢鑄金於山。

「山に入って冶金をし、麻の帯をしめ茅草の服を着て…」と訳してみましたが、「葌服」を大漢和では「香草を佩びる」と解釈しています。「葌」に香草という意味と萱という意味があるようです。

blog

越絶書巻第八

原文「杭塢者、句踐杭也、二百石長員卒七士人、度之會夷」
「員」は「買」になってるテキストもあります
「七士人」は「七千人」ではないかという注釈がありそれに従いましたがそれでもちょっと通じにくいです

blog

呉越春秋 「兩軍邊兵接好、日中無期」

このままだと意味が通りにくいので、「呉語」の該当箇所の記述「兩君偃兵接好、日中為期」にしたがい。「邊兵」は「偃兵」、「無期」は「爲期」で訳しておきました。

blog

越絶書

太宰嚭率徒謂之曰。謝戰者五父。越王不忍,而欲許之。范蠡曰,君王圖之廊廟,失之中野,可乎?謀之七年,須臾棄之。王勿許,吳易兼也。越王曰,諾。

「太宰嚭率徒謂之曰」のあとは文が抜けているようです。

「謝戰者五父」ですが、このあたりはおそらく國語「越語下」のこの部分に対応していると思われます。

吳人聞之,出而挑戰,一日五反。王弗忍,欲許之。范蠡進諫曰,夫謀之廊廟,失之中原,其可輿?王姑勿許也。臣聞之,得時無怠,時不再來,天予不取,反為之災。贏縮轉化,後將悔之。天節固然,唯謀不遷。王曰諾。弗許。

この「越語」の文から「五父」は「五反」であるとする解釈もあるようです。

ただ、越絶だと越王は「呉をゆるそうとした」ととれるのに対し、越語では「呉に応戦することをゆるそうとした」ということになっています。

越語と越絶が完全に対応するわけではなさそうなので、ここでは「戦を謝罪する者は五人」と訳しておきました。

 

blog

やはり「後房鼓震篋篋」がよくわかりませんでした。

「篋篋」は大漢和辞典では「狭く長いようす」となっています。 ただ、前に出てきたところだと「後房鼓震篋篋有鍜工」となってたのが、ここの公孫聖の台詞だと「後房鼓震篋篋者坐太息也」となってるので、これだと音の響きを表しているようにも思えます。
ですが、「篋篋」にそういう使い方があるのかはわかりません。
「有鍜工」も意味がとれないのですが、公孫聖の台詞ではこの3文字がないことを考えると、原文に誤りがあるのかもしれません。
一応大漢和辞典にしたがって訳しておきましたが、いまいち意味が通らないです。

blog

越絶書「拂勝則社稷固、諛勝則社稷危」

「拂」の意味が取りにくくて、「実際に勝っていないのに買ったような気持ちになっている、その気持ちをぬぐい去る」のような意味かと思って、「優位をぬぐい去れば社稷は堅固になり、優位におもねれば社稷は危うくなります」と訳しました。

しかし、「拂」を「輔」のことと解してその後の「諛」と対比させるという解釈もありました(『越絶書校釋』)それだと拂は伍子胥、諛は伯嚭を暗示していることになります。

どちらに解すべきか今は判断が付きません。
もしかしたらサイトにまとめるときに修正するかもしれません。

blog

越絶書「今越王為吾浦伏約辞」

「浦伏」の意味がわかりませんでした。
「約辞」については『國語」の韋昭注に「約卑也」とありますので、「言葉を卑くする」という意味でいいと思います。

「浦」がちょっとわかりません。続く文字が「伏」なので、おそらく身を伏せてへりくだってるとかそういう意味だと思うんですが…

とりあえず「今越王は我々のために身を低くして辞を卑くし」と訳しておきました。

 

blog

『呉越春秋』夫差の夢についての記述です。

原文「後房鼓震篋篋有鍜工」

訳せなかったので、こんな妙な訳になっています

「後ろの部屋には鼓が鳴り響き狭く長く鍜工があり」

注釈書などを見ますと「鼓震」を「鼓橐」の誤りではないかとしていて、鼓震だと「つづみがなりひびく」ですが、鼓橐だと「ふいごをあふる。火勢を盛んにする」(大漢和辞典)になります。

また「篋篋」については音声を表しているという解釈がありますが、大漢和辞典ですと「狭く長いようす」となっています。

「鍜工」については「鍛工」としている訳本もありますが、自分の持っているテキストでは「鍛」ではなく「鍜」なので、これもちょっと意味がわからない。

この夫差の夢についての言及はこの先にも数カ所出てきますので、先を読んで文脈から何かわかるようでしたら修正したいと思います。

 

blog

呉越春秋「修兵伏卒以待之」
史記「修兵休卒以待之」

呉越春秋の記述にしたがって「卒を待ち伏せさせて」と訳してみましたが、史記では「伏」が「休」になっています。

こういう場合は史記が「休」であるから呉越春秋の「伏」は「休」のまちがいで、「兵を休ませ」と訳すべきなのか、そのあたりの判断がいまだによくわかりません。

原則として、明らかな人名・地名の間違い、衍字などでなければ、原文どおりに訳しています。

 

blog

昨日の夏コミは、たくさんの方にお立ち寄りいただき、ありがとうございました。

いつもCOMITIA中心に出ているので、普段と違う方がたくさんいらしてくださったようで、ありがたかったです。

もちろん、いつも買ってくださっている方が続きを手にとってくださり、「いつも読んでます」とか「がんばってください」と声をかけてくださったりして、やはりイベントはいいなと思いました。

ただ、今回新規の方で、何種類もの本を買っていかれる方が多く、そのたびに「えーっと、合計は…」ともたもたしていて申し訳ありませんでした。あとで在庫と合わせて計算したところ、定価より多くいただいてしまったということはないのでその点はご安心いただきたいのですが、購入時にご不安を与えることのないよう、次回から何らかの対策を考えたいと思います。

 

さて、うちのサークルは春秋時代の呉越を舞台にした作品をメインに活動しています。

呉越の歴史を調べる場合は、まず「左伝」「國語」「史記」などの史料を見ることになります。
しかし左伝については越の記述はそれほど多くはないです。范蠡は出てきません。

「左伝」「国語」の成立年代についてはかなり専門的な議論になってしまい私には手が出ないのですが、「国語」に関しては吉本道雅先生が指摘されていたように同じ事象を伝えるのに「呉語」「越語」の成立時には3つの異なった伝承が存在していた。先にも書きましたように范蠡の名前は左伝には全く出てこず、「墨子」「韓非子」「呂氏春秋」など戦国後期の文献になり初めて出てきます。そうしますと国語の記述は句踐の死後に形成された伝承であろうとも考えられます。

そうしますと「国語」に伝えられる以外ににも呉越に関する伝承が何通りか伝えられていたとも考えられます。
いまツイッターで少しずつ読んでいる「呉越春秋」に至っては文章がどうにも漢代の文章ですし、私見では当時流布していた呉越に関する伝承をまとめてストーリー仕立てにした二次創作小説みたいなもの?ととらえております。ですので「霸王の輔」を描くに当たっては部分的にネタが拾えればいいなあ…ぐらいの感覚で読んでおりまして、呉越春秋をベースにした物語を描く予定はないです。

ですので呉越の史料を読むときは「当時の呉越の姿を伝えるものなのか」「あとから形成された伝承なのか」を意識しつつ読まなければなりません。

「霸王の輔」を読んで「自分の思っている呉越史のイメージと違う」を思われる方も多いかもしれませんが、私なりの史料の読み方をした結果です。

もちろん漫画ですので、作品上の演出も多々ありまして、夫差が白髮のイケメンだったり句踐樣が美少年だったり、あえて時間軸をずらしたり、外交関係の単純化もしています。
そういうことを考えると歴史漫画というのはものすごく難しいのですが、ただ昔の有名な人がこういうことをしましたということを描くのではなく、何らかの人間ドラマが描ければいいと思っています。

今回のイベントでは本を手にとって下さりありがとうございました。これからもがんばろうと思います。どうぞよろしくお願いします。