呉越春秋巻第九 勾踐陰謀外外伝
祭陵山於會稽祀水澤於江州事鬼神一年國不被災
徐天祜の注では「陵山」は「禹陵の山」となっています。
ただ、ここは「陵山」と「水澤」が対になっているという解釈(張覚『呉越春秋校注』岳麓書社2006)に従い、山神、水神と訳しました。
また、「新訳呉越春秋」(三民書局)所載の原文、および佐藤氏の日本語訳(平凡社東洋文庫)では「二年」となっていますが、私が持っている四部叢刊の影印本は「一年」となっています。
呉越春秋異聞
呉越春秋巻第九 勾踐陰謀外外伝
祭陵山於會稽祀水澤於江州事鬼神一年國不被災
徐天祜の注では「陵山」は「禹陵の山」となっています。
ただ、ここは「陵山」と「水澤」が対になっているという解釈(張覚『呉越春秋校注』岳麓書社2006)に従い、山神、水神と訳しました。
また、「新訳呉越春秋」(三民書局)所載の原文、および佐藤氏の日本語訳(平凡社東洋文庫)では「二年」となっていますが、私が持っている四部叢刊の影印本は「一年」となっています。
呉越春秋 巻第九 句踐陰謀外伝
原文 「昔太公九聲而足磻溪之餓人也」
越絶書外伝計倪に「太公九十而不伐磻溪之餓人也」という記載があるので、「九聲而足」は誤りで、ここも「九十而不伐」に置き換えて読むという解釈もあるようです。
ここでは原文通り、九声(古代音律の九つの声)で満足している、と訳しておきました。
越絶書巻十四
觀乎請糴能知【欠字】人之使敵邦賢不肖
知と人の間に1文字欠けています。ここでは「越」を補って、
「請糴内伝」の記述を見れば、越人がどのようにして敵国の賢人と不肖の人を利用したのかを知ることができ
のように訳しました。
Twitter で少しずつ読んでいる「当時は」では、范蠡や伍子胥が「相國」として出てきます。
「相國」というのは、すごく雑に説明すると、「総理大臣」みたいなものです。
実際に、范蠡や伍子胥が越や呉の相國だったかというと、そういうわけではありません。
この時代、まだ「相國」という官はありませんでした。
「呉越春秋」というのは後漢時代に成立したと言われる文献ですので、当時の人が編纂するにあたって、范蠡や伍子胥を「こいつら総理大臣ぐらい偉かっただろう」という感じで「相國」としたんじゃないかと。
ちなみに「越絶書」では「相國」は使われていません。
私の漫画でも、作中で伍子胥を「相國」として出したんですが、描いたときは、他の人より偉いということを表現するためにそういう用語もいいかなー、呉越春秋で使ってるし…と思ってました。今考えてみると、ちょっと悩むところですね。でも「総理大臣」も変だし…。
呉越春秋巻第八 句踐帰国外伝
大夫浩の発言
外有侵境之敵、内有爭臣之震、其可攻也
「争臣」には「君主を諌める臣下」(=諍臣)という意味があります。また、「震」には「怒り」という意味があります。
そこで、ここは「内には諫臣の怒りがあり」と訳しました。
しかし「争臣」を「臣下が争っている」、「震」を「威」と解釈し、
「内に臣下の争いという脅威があり」のようにも読めそうです。
越絶書 越絶巻第十四 越絶徳序外伝記第十八
子胥賜劍將自殺歎曰嗟乎眾曲矯直一人固不能獨立
ここの「眾曲矯直」なんですが、「多くの曲がったことが正しいことをまげてしまい」と訳しています。前後の文脈からこのように訳しました。「こと」は「者」でもいいかもしれません。
ただ、「曲」と「直」が対になっているので、「眾」と「矯」も対になるように読めればすっきりしそうな気がします。
ただ、意味が通りません。ちなみに「矯直」で「ためて直くする」という熟語とすることもあるようです。(大漢和辞典)
この訳のような読み方でいいのか、どこか原文がおかしくなっているのか、今のところはわかりません。
越絶書 越絶巻第十四 越絶徳序外伝記第十八
易曰知幾其神乎道以不害為左
とありますが、易経繫辭下では
子曰知幾其神乎君子上交不諂下交不瀆其知幾乎幾者動之微吉之先見者也君子見幾而作不俟終日
となっており、「道以不害為左」は見られません。
では「知幾其神乎」部分のみが易からの引用として書かれているのか?というと、ここの越絶書の文の構成が
易曰知幾其神乎道以不害為左傳曰知始無終厥道必窮此之謂也
なので、「易曰」以下と「傳曰」以下が対になって、「此之謂也」にかかっていくように思えます。つまりここの越絶書の文としては「知幾其神乎道以不害為左」を易からの引用として扱っているようにも思えます。
「道以不害為左」ですが、三民書局の新訳越絶書という本では、ここは易からの引用とはしておらず「古人認為『左』属陽、陽主生、吉利」としてここを「遠離災禍為上策」と訳してます。
ただ「左」を上策としていいのか、私は「道は害さないことをもとるとする」と逆に訳してしまいましたが、ちょっとここわからないので保留にしておきます。
漫画に登場する文種さん、私はずっと「ぶんしょう」と読んできて、作中でそのようにルビも振っています。
しかし、普通は「種」って、「しゅ」ですよね。
実際、文種さんのことを「ぶんしゅ」と読む方も多いようです。
どうして私は彼のことを「しょう」だと思っていたのだろう?
これは、何かこだわりがあるというわけではなく、ずっと昔から「しょう」だと思っていました。
なにかこう…「しょう」と読ませる要因があるのかしら?と思って文献に戻ってみましたが…
読み方が複数あれば、「種○○反」とか、発音に関する注がありそうですが、それもありません。
ということは、ごく普通に読めばいいっぽいですね。
ちなみに家にあった漢籍の和訳本にあたると、
平凡社の「史記」、明治書院の「国語」いずれも「しょう」とルビが振ってあります。
少し上の世代の方は「しょう」と読むのか…?
で、辞書引いてみました。
「しゅ」は呉音。
「しょう」は漢音でした。
これは単純に、「漢文は漢音で読むから『種』は『しょう』」ってことでいいんでしょうかね。
「万暦帝」を「まんれきてい」ではなく「ばんれきてい」と読むようなものか?
そういうことなら一応説明が付きます。
「ぶんしゅ」と読むのが間違いかというとそんなことはなくて、日本だと「種」は「しゅ」と読むのが普通だし、大漢和辞典も「ぶんしゅ」だし、まあどちらでもいいんじゃないかと思います。
ただ私の漫画ではずっと「ぶんしょう」で通してきたのでこれからも「ぶんしょう」で行こうと思います。「なんで白川さんの漫画では『ぶんしょう』なんですか?」って聞かれたら「漢音だから!」と答えることにします。
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文種さんの名前
以前あった話をします。
漫画を描き始めてから20年ぐらいになります。いろんなジャンルを描いてきましたが、活動期間が一番長く、自分の根幹だと思っているのは歴史創作です。
昔は本当に一生懸命描いていました。分厚い同人誌をどんどん出していたし、イベントに合わせてpixivやSNSで積極的に宣伝していました。
私が描いているのは春秋時代の呉越を舞台にした漫画です。歴史漫画ではありますが、物語としての演出のために、あえて史実から逸脱する部分も設けていました。
ある日、pixivに同人誌の漫画のサンプルを投稿すると、「コメントあり」の通知が飛んできました。歴史創作ではコメントや感想をもらう機会は本当に少ないので、わくわくしながらコメント欄を確認すると、そこには「時代考証が違う」との指摘があり、たくさんの史料が添えられていました。私はその史料は当然読んでいましたし、読んだ上で漫画の表現としてあえて変えているとお返事しましたが、理解はされなかったようで、次の投稿でも同じ事がありました。当時はコメント欄閉鎖の機能はありませんでした。
別のところでも描きましたが、私は歴史創作というのはフィクションであり、必ずしも史実通りに描く必要はないと思っています。これはいろいろな意見があると思いますが、私個人としては、史実を再現しているわけでも、史料のコミカライズをしているわけでもないと考えています。
コメントを書いた方に悪気があったとは思いません。しかし、しばらくして私はpixivから歴史創作関連の投稿をすべて引き上げました。
それから数年間は、二次創作などに手を出しつつ、細々と歴史創作も続けて来ましたが、漫画は描いたけれど誰にもかまわないでほしい、という奇妙な状態でした。同人イベントに出る際も、ほとんど宣伝しなくなってしまいました。まったく健全ではなかったと思います。
たった2回の書き込みでどうしてそこまで…と思われるかもしれませんが、言葉というのは非常に強いのです。コメントをもらうと作家は嬉しいので「せっかくコメントしてくれたんだから」とか「いろんな人の意見も聞かなきゃ」という思いが強くなってしまう。その結果、自分でも気づかないうちに、他人の言葉に支配されてしまいます。
先ほども書いたように、歴史創作のようなマイナージャンルではコメントは滅多にもらえません。人気作家さんが100件コメントをもらって、そのなかに1つ2つ、ちょっとこれはというコメントがあったとしてもあまり気にならないかもしれませんが、3件コメントをもらって2件がこれだと、ずっと重みが増すのです。
史実の通りやりなさい派の人とはいくら話し合っても決して歩み寄ることがないのですが、当時の私は、決して相容れない意見を受け流すことができず過剰に反応して、すっかり萎縮してしまいました。
この出来事から私は、いろいろと学びました。
当時の私に言いたいのは、他人の意見を重視しすぎず、自分の作品を守ることにもっと力を入れろ、ということです。
私は自分の作品を隠すことで、作品を守ろうとしたのですが、それは全く建設的ではありませんでした。フィードバックは重要ですが、自分の創作活動を萎縮させるような意見だったら聞く必要はありません。
全ての意見に同じ重みを持たせることはありません。自分のやりたいことの方が大事だということ。
きちんと自分の作品を守る施策を考えた上で、作品を発信し続ける道を模索すべきだったのではないかと、今になって思います。
現在はサイトやSNSのプロフィールに「私が描く歴史創作は歴史を題材としたフィクションであり、史実を忠実に反映したものではありません」と表記を入れています。こういうやり方が正しいかどうかはまだわからないし、この記載があったとしても「あなたの描くものはおかしい」と言われることがあるかもしれません。
しかし、自分の立場をあらかじめ示しておくことによって、相容れない意見を排除することへの抵抗感を減らせるかもしれません。
2022年の冬コミで配布したペーパーの漫画です。