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あけましておめでとうございます。

2022年は夏コミ、冬コミの2回に渡り同人誌即売会に参加することができました。

当サークルの本をお手にとって下さった方、ありがとうございました。

 

コロナ禍の中、同人活動が事実上ストップしてしまい、2年以上のブランクを経て「霸王の輔」の新刊を出せたのが2021年の冬コミでした。

そして、今年は夏と冬に2冊の本をどうにか出すことができました。

同人活動や自分自身について、いろいろなことを考えた年でした。

 

夏コミの後のブログにも書きましたが、「霸王の輔」の制作が進まなくなったのは、長年私を精神的に支配してきた父が亡くなったことが大きかったです。

そして、長年の友人と関係を断ったこと、コロナ禍で同人イベントの中止、商業で連載のお仕事をいただき時間的、体力的にも余裕がなかったこと…

いろいろな事情が重なって、しばらく同人活動をほとんどできていない状態でした。

 

同時に、それは自分のやる気がないだけではないか?言い訳しているだけではないのか?という思いもありました。

コロナ禍の中でも絵を描き続けている人がいる。

仕事が忙しくても作品を発表し続けている人がいる。

他人に何か言われたから…というのは、自分の中で思い当たる節があるからだ、本当にやりたいことがあれば人に何を言われても気にならないはず。

それができなかったのは、全て私の責任なのか。

 

自己責任という考え方はいい面もあると思っています。

なにかうまくいかないときに、他人のせいにするのではなく、自分の問題として捉えることによって、問題解決に向けて前向きに動くことができる。

それはそれで有用な考えだとは思います。

ただ、それでも外からのストレスを受けたり、他人の言葉に傷ついたりする自分は確かにいる。

 

何があっても傷ついてはいけないんだろうか、傷つくのは私が悪いんだろうか、

傷つく方がおかしいというなら、心とは何なのだろうか。

感情というのは脳内でなにか化学物質が反応してるだけなのかもしれない。

でも心とか誰にでもあるし、この感情こそが自分なのではないか。

 

なのでたぶん、傷ついてもいいんじゃないかと思います。

それで被害者意識にとらわれて他人を恨んで攻撃したりしなければ、それでいいんじゃないかな。

そして傷の回復に、ある程度時間がかかるのも仕方ない。

「傷つかない心」だけが強くて正しい訳じゃない。

 

漫画の話に戻りますと、明らかに迷走してたり、以前の方がよかったなあと感じる点も多々あるので、とにかくいい作品を描けるように精進していこうと思います。

2023年もよろしくお願いします。

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2022年の冬コミで配布したペーパーの漫画です。

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コミックマーケット101(2022/12/31 土)新刊のご案内です。

霸王の輔十六 A5サイズ 24ページ

西施はまだ越にいてあれこれやっていますが、やっと呉に向かうことになります。

できればおまけペーパーもつけたいと思っています。

通販はイベント後に、とらのあなとBOOTHで取り扱う予定です。

どうぞよろしくお願いします。

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2022年の夏コミで配布したペーパーです。

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こちらのブログではお久しぶりです。

昨日、2022年の夏コミに参加してきました。

長年にわたって描き続けている「覇王の輔」シリーズですが、13巻を出したのが2019年の11月、その後ずっと時間が空いて14巻を21年の冬コミ、15巻を今回の夏コミで発行しました。

コロナ禍で同人イベントが中止、縮小されたという事情もありますが、それ以前から刊行ペースが落ちていることは、長年読んでいただいている読者の方は感じ取っておられたかもしれません。

 

「覇王の輔」シリーズを描き始めて数年たったころ、父が亡くなりました。

父は白川とは年が離れており、年配の人にありがちな「漫画はくだらない」という価値観を持っている人でした。漫画に限らず、子供が自分の気に入ることをすれば褒めますが、気に入らないことをすれば頭から否定するというタイプの人でした。

物理的な暴力を振るうようなことはなく、経済的にも恵まれていたと思いますが、私は常に「これを好きになったら父から否定されるのではないか」と警戒し、おびえながら成長しました。

この作品の主人公である范蠡さんも、「父親の圧が強すぎて自分が何をやればいいのか分からなくなってしまった」という心にトラウマを抱えている人です。それは明らかに自分自身の投影です。

歴史上の范蠡さんの名誉のために申し上げますと、実際の范蠡さんはもっとしっかりした立派な方だったと思います。この作品の范蠡さんは、あくまで私の作品における、創作上のキャラクターです。

 

話は戻りまして、私がこの作品を描き始め、その際范蠡さんのキャラクターを上記のように設定したことは、当時存命していた父親に対して、「自分は漫画が好きで漫画を描いている」ということを証明したかった、ということが大きかったかと思います。

父には私が漫画を描いているということは話していないので、実際に父に認めてもらおうとかそういうことではないのですが、自分を否定してきた父への反発、反抗心のようなものが、そこにはありました。

 

ずっと描き続けているわけですから、多分私は漫画が好きなのだと思います。

しかし、私は「自分は漫画が大好きなんだ」と思うことができませんでした。漫画は「描いてはいけないもの」「価値がないもの」であり、ずっと漫画を描くことにある種の「うしろめたさ」を感じていました。

「三度の飯より漫画が大好き!」と熱く語る他の作家さんをいつも羨ましく思っていました。どうして私はあんな風に自分の好きなものを堂々と好きと思えないんだろうと、疎外感のようなものも感じていました。

ですので、「覇王の輔」という作品を描くのは、自分が漫画を好きで描いているんだと、自分自身に対して確認する意味もありました。

 

そんな中、父が亡くなりました。
これからは父からの否定に怯えず、好きなものを好きと思っていいんだ、「漫画を描くだけで楽しい!」と言えるようになるんだ、と思いました。

しかし実際にはそうはなりませんでした。反発の対象である「父」という存在がなくなり、ただ「自分の好きなものが本当に好きなのかわからない」という状態だけが残りました。

相変わらず自分は何者かに否定されているように感じ、それに対して「そうじゃない!」と反発する気持ちをぶつける対象がなくなり、これから先、この作品をどのように描いていけばいいのか、わからなくなりました。

ちょうどその頃、ゲームにはまって二次創作を始めたこともあり、「覇王の輔」の執筆ペースはかなり落ちてしまいました。待っていて下さった方には、大変申し訳ありませんでした。

 

父が他界してから数年経ち、自分の中でも少しずつ気持ちの整理ができてきました。

おそらく、私はこの先も「三度の飯より漫画が大好き!」と目を輝かせながら語ることはできないと思います。好きなものを手放しで好きと思えない、好きになることに後ろめたさを感じる、そんな生きづらさと一生付き合っていかなければならないと思います。

ただ、私はそれでいいのではないか、と思うようになりました。

今はもう、自分を一歩離れたところから見て、父からの否定の言葉が真実ではないことや、自分がその影響によって認識を歪まされてしまっている、ということを客観的に見ることができます。

おそらく、私にとっての「好き」はそういうことなんじゃないか、と思います。

 

これから先、そういう自分の思いを作品として昇華していけたら、と思います。

主人公の范蠡さんだけでなく、そのほかのキャラクターたちも、悩みながら、自分と戦いながら、少しずつ成長していく姿を描いていきたいと考えています。

作品に対して、前向きに取り組んでいきたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

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呉越春秋 闔閭内伝
至今後世,即山作冶,麻絰葌服,然後敢鑄金於山。

「山に入って冶金をし、麻の帯をしめ茅草の服を着て…」と訳してみましたが、「葌服」を大漢和では「香草を佩びる」と解釈しています。「葌」に香草という意味と萱という意味があるようです。

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越絶書巻第八

原文「杭塢者、句踐杭也、二百石長員卒七士人、度之會夷」
「員」は「買」になってるテキストもあります
「七士人」は「七千人」ではないかという注釈がありそれに従いましたがそれでもちょっと通じにくいです

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呉越春秋 「兩軍邊兵接好、日中無期」

このままだと意味が通りにくいので、「呉語」の該当箇所の記述「兩君偃兵接好、日中為期」にしたがい。「邊兵」は「偃兵」、「無期」は「爲期」で訳しておきました。

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越絶書

太宰嚭率徒謂之曰。謝戰者五父。越王不忍,而欲許之。范蠡曰,君王圖之廊廟,失之中野,可乎?謀之七年,須臾棄之。王勿許,吳易兼也。越王曰,諾。

「太宰嚭率徒謂之曰」のあとは文が抜けているようです。

「謝戰者五父」ですが、このあたりはおそらく國語「越語下」のこの部分に対応していると思われます。

吳人聞之,出而挑戰,一日五反。王弗忍,欲許之。范蠡進諫曰,夫謀之廊廟,失之中原,其可輿?王姑勿許也。臣聞之,得時無怠,時不再來,天予不取,反為之災。贏縮轉化,後將悔之。天節固然,唯謀不遷。王曰諾。弗許。

この「越語」の文から「五父」は「五反」であるとする解釈もあるようです。

ただ、越絶だと越王は「呉をゆるそうとした」ととれるのに対し、越語では「呉に応戦することをゆるそうとした」ということになっています。

越語と越絶が完全に対応するわけではなさそうなので、ここでは「戦を謝罪する者は五人」と訳しておきました。

 

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やはり「後房鼓震篋篋」がよくわかりませんでした。

「篋篋」は大漢和辞典では「狭く長いようす」となっています。 ただ、前に出てきたところだと「後房鼓震篋篋有鍜工」となってたのが、ここの公孫聖の台詞だと「後房鼓震篋篋者坐太息也」となってるので、これだと音の響きを表しているようにも思えます。
ですが、「篋篋」にそういう使い方があるのかはわかりません。
「有鍜工」も意味がとれないのですが、公孫聖の台詞ではこの3文字がないことを考えると、原文に誤りがあるのかもしれません。
一応大漢和辞典にしたがって訳しておきましたが、いまいち意味が通らないです。