呉越春秋巻第八 句踐帰国外伝
大夫浩の発言
外有侵境之敵、内有爭臣之震、其可攻也
「争臣」には「君主を諌める臣下」(=諍臣)という意味があります。また、「震」には「怒り」という意味があります。
そこで、ここは「内には諫臣の怒りがあり」と訳しました。
しかし「争臣」を「臣下が争っている」、「震」を「威」と解釈し、
「内に臣下の争いという脅威があり」のようにも読めそうです。
呉越春秋異聞
呉越春秋巻第八 句踐帰国外伝
大夫浩の発言
外有侵境之敵、内有爭臣之震、其可攻也
「争臣」には「君主を諌める臣下」(=諍臣)という意味があります。また、「震」には「怒り」という意味があります。
そこで、ここは「内には諫臣の怒りがあり」と訳しました。
しかし「争臣」を「臣下が争っている」、「震」を「威」と解釈し、
「内に臣下の争いという脅威があり」のようにも読めそうです。
越絶書 越絶巻第十四 越絶徳序外伝記第十八
子胥賜劍將自殺歎曰嗟乎眾曲矯直一人固不能獨立
ここの「眾曲矯直」なんですが、「多くの曲がったことが正しいことをまげてしまい」と訳しています。前後の文脈からこのように訳しました。「こと」は「者」でもいいかもしれません。
ただ、「曲」と「直」が対になっているので、「眾」と「矯」も対になるように読めればすっきりしそうな気がします。
ただ、意味が通りません。ちなみに「矯直」で「ためて直くする」という熟語とすることもあるようです。(大漢和辞典)
この訳のような読み方でいいのか、どこか原文がおかしくなっているのか、今のところはわかりません。
越絶書 越絶巻第十四 越絶徳序外伝記第十八
易曰知幾其神乎道以不害為左
とありますが、易経繫辭下では
子曰知幾其神乎君子上交不諂下交不瀆其知幾乎幾者動之微吉之先見者也君子見幾而作不俟終日
となっており、「道以不害為左」は見られません。
では「知幾其神乎」部分のみが易からの引用として書かれているのか?というと、ここの越絶書の文の構成が
易曰知幾其神乎道以不害為左傳曰知始無終厥道必窮此之謂也
なので、「易曰」以下と「傳曰」以下が対になって、「此之謂也」にかかっていくように思えます。つまりここの越絶書の文としては「知幾其神乎道以不害為左」を易からの引用として扱っているようにも思えます。
「道以不害為左」ですが、三民書局の新訳越絶書という本では、ここは易からの引用とはしておらず「古人認為『左』属陽、陽主生、吉利」としてここを「遠離災禍為上策」と訳してます。
ただ「左」を上策としていいのか、私は「道は害さないことをもとるとする」と逆に訳してしまいましたが、ちょっとここわからないので保留にしておきます。
漫画に登場する文種さん、私はずっと「ぶんしょう」と読んできて、作中でそのようにルビも振っています。
しかし、普通は「種」って、「しゅ」ですよね。
実際、文種さんのことを「ぶんしゅ」と読む方も多いようです。
どうして私は彼のことを「しょう」だと思っていたのだろう?
これは、何かこだわりがあるというわけではなく、ずっと昔から「しょう」だと思っていました。
なにかこう…「しょう」と読ませる要因があるのかしら?と思って文献に戻ってみましたが…
読み方が複数あれば、「種○○反」とか、発音に関する注がありそうですが、それもありません。
ということは、ごく普通に読めばいいっぽいですね。
ちなみに家にあった漢籍の和訳本にあたると、
平凡社の「史記」、明治書院の「国語」いずれも「しょう」とルビが振ってあります。
少し上の世代の方は「しょう」と読むのか…?
で、辞書引いてみました。
「しゅ」は呉音。
「しょう」は漢音でした。
これは単純に、「漢文は漢音で読むから『種』は『しょう』」ってことでいいんでしょうかね。
「万暦帝」を「まんれきてい」ではなく「ばんれきてい」と読むようなものか?
そういうことなら一応説明が付きます。
「ぶんしゅ」と読むのが間違いかというとそんなことはなくて、日本だと「種」は「しゅ」と読むのが普通だし、大漢和辞典も「ぶんしゅ」だし、まあどちらでもいいんじゃないかと思います。
ただ私の漫画ではずっと「ぶんしょう」で通してきたのでこれからも「ぶんしょう」で行こうと思います。「なんで白川さんの漫画では『ぶんしょう』なんですか?」って聞かれたら「漢音だから!」と答えることにします。
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文種さんの名前
2022年の冬コミで配布したペーパーの漫画です。