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下絵に入っています。

まず、とにかく描きにくい主人公、范さんを先に描いてしまおうと。

紫色のレイヤーでラフを描いて、青のレイヤーにした絵を入れていきます。

范さんの出番は今回2ページだけなんですが、2ページでも十分描きにくいです、この人。でも別に嫌いじゃない。

 

ツイッターのフォロワーさんに、「呂氏春秋」をネットで読めるサイトを教えてもらったので、そのうち「呂氏春秋」に表れる范蠡についても読んでいきたいです。

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ツイッターで訳していた、越絶巻第一 越絶荊平王内伝第二をアップしました。

越絶書というのは序文にも書かれていましたが、もともといろんな編者の作を寄せ集めた感があります。

巻の数え方もどうもすっきりしなくて、巻一が越絶荊平王内伝第二、巻二が越絶外伝記呉地伝第三になってます。
さらに版本によって「越絶書巻一」が「越絶巻第一」になってたり、「越絶荊平王内伝第二」が「越絶」がつなくてただの「荊平王内伝第二」と表記されてたり。最初の「外傳本事」を巻一に含めているものと、巻一には含めずに単に「越絶書」としているものがあったりして、あまり整理されていないようです。

「荊平王内伝」の次の「外伝記呉地伝」は、おなじ呉のことなのに一方が内伝で一方は外伝なのですね。あまり洗練された文献とは言えなさそうです。

 

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Twitterで訳していた越絶荊平王内伝第二が、最後まで訳し終わりました。

近日中に、サイトのほうも更新したいと思います。

明日からは外伝記呉地伝に入る予定です。

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やっと枠線が弾き終わって、絵に入ったところです。

ペース上げていかないとなあ…

あと、少しずつですがCartoonのページを改裝しています。

これまでは、画像一つにつき1ページだったのですが、同じタイトルのものはまとめて表示するようにしてみました。

まだ一部を修正しただけなので、殘りは少しずつ進めていきたいと思っています。

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新刊は表紙込み44ページ本になります。

本文44ページのうち、1ページは奥付です。

漫画部分は扉を入れて39ページです。

今日はあまり作業できなくて、枠線を引き終わったのが9ページ。

もう少しがんばります。

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まだ、枠線引きをやっています。
もうしばらく、かかりそうです。

 

Cartoonのページの表示方法を変えた方がいいかなあ…と考えています。

Twitterに投稿したものを、そのままこちらにもブログ形式で投稿していたのですが、画像もたまってきて、なんだか見づらくなってきたので。確認したら、いつのまにか200枚以上になっていました。

もう少し見やすい表示に、少しずつ変えていけたらと思っています。
原稿の合間に少しずつ作業していきたいです。
 

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やっと全ページのコマ割りが終わりました。

といっても、コミスタの枠線定規でコマを割っただけです。

枠線はフリーハンドで引くので、この後、これをなぞって行く作業があります。

さっさと終わらせて絵にとりかかりたい!

今回はフーちゃんの話なのですが、范さんも2ページほど出てきます。

范さんは主人公ですが、ものすごく描きにくいので、こいつを先に描いてしまおうと思っています。

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Twitterで少しずつ訳していた『國語』の「越語上」を、最後まで訳し終わったので、サイトにアップしました。
まだ、いろいろと見直す箇所があるかもしれません。気づいたら随時修正を入れていきたいと思います。

先に訳した「呉語」も、「越語上」と同様に句踐が夫差に敗れるところから始まっています。
しかし、「越語上」との整合性はあまりなく…

これから読んでいこうとしている「越語下」も、范蠡との問答が延々と続いていたりして、「上」と「下」の連続性はあまりないです。

 

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つづき

使大夫種因呉大宰嚭以行成。呉子將許之。

大夫種をつかわして呉の大宰嚭をつうじて和平を行おうとした。呉子はまさにこれを許そうとした。

 

左伝では、大夫種が和平の使者となった、そのさい呉の太宰伯嚭を通じて和平を行おうとした、ということが書かれています。

これが「越語上」では伯嚭に美女を贈った云々というのが加わってくる。

 

山に立てこもっていたのに美女を贈るというのはどうにも違和感を感じます。
おそらく美女を贈ったというのはあとからくっつけられたエピソードで、伯嚭を「女に目がくらんだだめなやつ」とする価値観が、後世になってだんだんできあがっていき、それにあわせて付け加えられたのではないかと思います。

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『春秋左氏伝』の哀公元年(B.C.494)に、有名な夫椒の戦い→会稽の恥、あたりの記述があります。

もうすぐツイッターで訳してる『越語上』をサイトにもアップできると思うので、そのあたりと比較しながら少しずつ読んでいけたらと思います。

 

呉王夫差敗越于夫椒、報檇李也、遂入越、越子以甲楯五千、保于會稽、

呉王夫差は越を夫椒に破り、檇李の戦いに報復した。ついに越に入ると、越子は武裝した兵五千を率いて、会稽山にたてこもった。

 

「保于會稽」について、杜注が「上會稽山也」としていて、音義が「上時掌反」となってるので、「上」は「のぼる、その場所へ行く」ということで、句踐は兵五千人を率いて会稽山に立てこもったという解釈をしています。

 

『國語』「越語上」ではこのように書かれています。

 

越王句踐棲于會稽之上、乃號令于三軍曰

越王句踐は会稽山の上に立てこもり、三軍に号令して言った

 

左伝が「保」で國語が「棲」となってますが、韋昭の注によれば「山處曰棲会稽山名」となっていて、やはり「会稽山の上に立てこもった」という解釈をしています。ただ、もとの文はどちらも「会稽」となっていて「会稽山」とは書いてないですね。

 

ぼちぼち読んでいきたいと思います。続きはまた。