越絶書巻三 越絶書巻三呉内伝第四
ツイッターで訳していたものを、まとめて公開しました。
「呉内伝」となってますが、記述は呉に限らずいろいろな方面に及び、全体としてのまとまりがないというか、ちょっと何が言いたいのかわからない文章でした。
明日以降は、巻四計倪内経を少しずつ読んでいこうと思います。
越絶書巻三 越絶書巻三呉内伝第四
ツイッターで訳していたものを、まとめて公開しました。
「呉内伝」となってますが、記述は呉に限らずいろいろな方面に及び、全体としてのまとまりがないというか、ちょっと何が言いたいのかわからない文章でした。
明日以降は、巻四計倪内経を少しずつ読んでいこうと思います。
本日訳したところ
原文「波太子夫差日夜告於伍胥曰」
ここはちょっと読みにくいんですが、注釈書によっては「波太子子夫差」または「波子夫差」の誤りとして『呉越春秋』では夫差は太子波の子で闔閭の孫だとしてる本もあります。
それとは別に「波太子」が「次太子」の誤りで、やはり夫差は闔閭の子であろうと解釈してるものもあります。
なるべく原文に近い形で訳したかったので、いまは「波の子夫差」としておきました。
他の史料の記述からしても、夫差は闔閭の子でないとおかしいのですが、『呉越春秋』では夫差は波の子=闔閭の孫という扱いになっているのかもしれません。
方舟航買儀塵者、越人往如江也、治須慮者、越人謂船為須慮、亟怒紛紛者、怒貌也、怒至、士擊高文者、躍勇士也
本日読んだところ
二つを連結した船で、越人は江に往く。須慮を治すとは、越人は船を「須慮」と言うのである。亟怒紛紛とは、怒りの様子であり、怒りがはなはだしい。士が高丈を撃つとは、士を跳躍させ勇ませるのである。
無理矢理に訳しましたが、かなり意味が通じにくいです。
「方舟」とは「舟を二つ並べていかだのようにつなぐ」
「買儀塵」は意味がとれないです。何冊か注釈書にあたってみましたが、どれもわからないとのこと
次の「亟怒紛紛~」のところも前後のつながりがよくわからないです
「士擊高文者」 「文」は「丈」ではないかということ 戦士が高いところのものを撃って跳躍や武勇を鍛錬する?みたいな感じでしょうか しかしこれもよくわかりません
『呉越春秋』本日ツイッターで訳したところ
桓公大驚、楚有賢臣如是
原文では「桓公」となっていますが、年代が合わないので、「哀公」のまちがいだろうということです。
「哀公」に修正して訳しています。
しばらく更新が滞っていましたが、Cartoonにイラスト・漫画七点を掲載しました。
呉越春秋、いまツイッターで読んでるところは、原文「鄭定公」となっていますが、年代が合わないので献公の誤りだろうということです。訳も修正しています。
呉越春秋 ツイッターで訳した箇所について。
原文「舎兵於淮汭」 左伝が「舎舟于淮汭」なのでここの「兵」は「舟」ではないかという注がついてます。
でも兵でも通じないこともないと思ったのでそのままにしてます。
「汭」は「入り江」「川の合流点」「河口」「川の北」と、いろいろな意味があるそうです。 左伝の杜注が「呉乗舟従淮来、過蔡而舎之」なので、もしかしたら「淮水の北側」でもよいのかもしれない。 今のところちょっとよくわからないです。
(twitterの投稿をまとめました)
本日、Twitterで訳したところ
「子の元と太子を質とし」
原文は「以子元與太子質」
左伝定公三年では「以其子元與其大夫之子爲質焉」となっています。
呉越春秋の記載が誤りだと思いますが、訳は原文に従っておきました。
越絶書
呉市者、春申君所造、闕両城以為市
「二つの城に門をかけ市となし 」と訳しましたが、「闕」を「門をかける」というように動詞として読んでいいのか、ちょっと分かりません。
動詞として読む場合は「欠ける」といった意味になりますが、それでは通じにくいので、とりあえずこうしておきました。
ツイッターで訳してる史料についての覚え書きです。
呉越春秋 闔閭内伝 孫子の台詞
既以約束、三令五申、卒不卻行、士之過也
ここの「卒」を三民書局の「新訳呉越春秋」では「ついに」という意味で読んでるようです。
ですが「そつ=兵士」の意味で訳しておきました。
越絶外伝記呉地
放山者、在莋碓山南。以取長之莋碓山下、故有郷名莋邑。
「取長之」がちょっと意味が分かりません。「長人」の間違いではないかという意見もあるようです。
おそらく原文がおかしいと思いますので、この三文字は飛ばして訳しています。