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『呉越春秋』夫差の夢についての記述です。

原文「後房鼓震篋篋有鍜工」

訳せなかったので、こんな妙な訳になっています

「後ろの部屋には鼓が鳴り響き狭く長く鍜工があり」

注釈書などを見ますと「鼓震」を「鼓橐」の誤りではないかとしていて、鼓震だと「つづみがなりひびく」ですが、鼓橐だと「ふいごをあふる。火勢を盛んにする」(大漢和辞典)になります。

また「篋篋」については音声を表しているという解釈がありますが、大漢和辞典ですと「狭く長いようす」となっています。

「鍜工」については「鍛工」としている訳本もありますが、自分の持っているテキストでは「鍛」ではなく「鍜」なので、これもちょっと意味がわからない。

この夫差の夢についての言及はこの先にも数カ所出てきますので、先を読んで文脈から何かわかるようでしたら修正したいと思います。

 

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呉越春秋「修兵伏卒以待之」
史記「修兵休卒以待之」

呉越春秋の記述にしたがって「卒を待ち伏せさせて」と訳してみましたが、史記では「伏」が「休」になっています。

こういう場合は史記が「休」であるから呉越春秋の「伏」は「休」のまちがいで、「兵を休ませ」と訳すべきなのか、そのあたりの判断がいまだによくわかりません。

原則として、明らかな人名・地名の間違い、衍字などでなければ、原文どおりに訳しています。

 

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昨日の夏コミは、たくさんの方にお立ち寄りいただき、ありがとうございました。

いつもCOMITIA中心に出ているので、普段と違う方がたくさんいらしてくださったようで、ありがたかったです。

もちろん、いつも買ってくださっている方が続きを手にとってくださり、「いつも読んでます」とか「がんばってください」と声をかけてくださったりして、やはりイベントはいいなと思いました。

ただ、今回新規の方で、何種類もの本を買っていかれる方が多く、そのたびに「えーっと、合計は…」ともたもたしていて申し訳ありませんでした。あとで在庫と合わせて計算したところ、定価より多くいただいてしまったということはないのでその点はご安心いただきたいのですが、購入時にご不安を与えることのないよう、次回から何らかの対策を考えたいと思います。

 

さて、うちのサークルは春秋時代の呉越を舞台にした作品をメインに活動しています。

呉越の歴史を調べる場合は、まず「左伝」「國語」「史記」などの史料を見ることになります。
しかし左伝については越の記述はそれほど多くはないです。范蠡は出てきません。

「左伝」「国語」の成立年代についてはかなり専門的な議論になってしまい私には手が出ないのですが、「国語」に関しては吉本道雅先生が指摘されていたように同じ事象を伝えるのに「呉語」「越語」の成立時には3つの異なった伝承が存在していた。先にも書きましたように范蠡の名前は左伝には全く出てこず、「墨子」「韓非子」「呂氏春秋」など戦国後期の文献になり初めて出てきます。そうしますと国語の記述は句踐の死後に形成された伝承であろうとも考えられます。

そうしますと「国語」に伝えられる以外ににも呉越に関する伝承が何通りか伝えられていたとも考えられます。
いまツイッターで少しずつ読んでいる「呉越春秋」に至っては文章がどうにも漢代の文章ですし、私見では当時流布していた呉越に関する伝承をまとめてストーリー仕立てにした二次創作小説みたいなもの?ととらえております。ですので「霸王の輔」を描くに当たっては部分的にネタが拾えればいいなあ…ぐらいの感覚で読んでおりまして、呉越春秋をベースにした物語を描く予定はないです。

ですので呉越の史料を読むときは「当時の呉越の姿を伝えるものなのか」「あとから形成された伝承なのか」を意識しつつ読まなければなりません。

「霸王の輔」を読んで「自分の思っている呉越史のイメージと違う」を思われる方も多いかもしれませんが、私なりの史料の読み方をした結果です。

もちろん漫画ですので、作品上の演出も多々ありまして、夫差が白髮のイケメンだったり句踐樣が美少年だったり、あえて時間軸をずらしたり、外交関係の単純化もしています。
そういうことを考えると歴史漫画というのはものすごく難しいのですが、ただ昔の有名な人がこういうことをしましたということを描くのではなく、何らかの人間ドラマが描ければいいと思っています。

今回のイベントでは本を手にとって下さりありがとうございました。これからもがんばろうと思います。どうぞよろしくお願いします。

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呉越春秋

昔者吳王分其民之眾以殘吾國、殺敗吾民、鄙吾百姓、夷吾宗廟、國為墟棘、身為魚鼈、

「身為魚鼈」ですが、越絶書巻七内伝陳成恒第九に同様の記述があり、そこでは「身為魚鼈餌」となっています。

「私は魚やすっぽんになった」ではなんだか面白いことになりそうなので、ここでは越絶の記載に従って「餌」を補って訳しておきました。

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呉越春秋「仁人不因居」

注が付いていて、越絶では因居を困厄につくる、とあったので、訳はそちらの意味を取って訳しました。
しかし、越絶のどの部分のことを言っているのか、わかりませんでした。

今後わかったらあらためて書きたいと思います。

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『呉越春秋』是君上驕下恣群臣、而求以成大事、難矣。

原文は「上驕下恣群臣」だったのですが、『史記』孔子弟子列伝ではこう(↓)なっていたので

是君上驕主心、下恣群臣、求以成大事、難矣。

「主心」を補って訳しておきました。

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今太子不祿、早失侍御、今王欲立太子者、莫大乎波秦之子夫差、闔閭曰、夫愚而不仁、恐不能奉統於呉国。

今日読んだあたり

太子不禄  先日読んだ越絶書呉内伝では「天子稱崩、諸侯稱薨、大夫稱卒、士稱不祿」となってました。
ここでは太子に「不祿」を使ってます。

波秦之子夫差  「秦」がよくわかりません。衍字としている説もあります。

夫愚而不仁  「夫」のあとに「差」が抜け落ちていて「夫差愚而不仁」ではないか、という説もあります。でも「夫」を助字として読めないこともないと思います。

このあと伍子胥の台詞として「父死子代、經之明文」とあるので、やはり『呉越春秋』においては夫差は太子波の子として扱われていると読んだ方が素直かなあ…と思います。

 

 

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越絶書巻三 越絶書巻三呉内伝第四

ツイッターで訳していたものを、まとめて公開しました。

「呉内伝」となってますが、記述は呉に限らずいろいろな方面に及び、全体としてのまとまりがないというか、ちょっと何が言いたいのかわからない文章でした。

明日以降は、巻四計倪内経を少しずつ読んでいこうと思います。

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本日訳したところ

原文「波太子夫差日夜告於伍胥曰」

ここはちょっと読みにくいんですが、注釈書によっては「波太子子夫差」または「波子夫差」の誤りとして『呉越春秋』では夫差は太子波の子で闔閭の孫だとしてる本もあります。

それとは別に「波太子」が「次太子」の誤りで、やはり夫差は闔閭の子であろうと解釈してるものもあります。

なるべく原文に近い形で訳したかったので、いまは「波の子夫差」としておきました。

他の史料の記述からしても、夫差は闔閭の子でないとおかしいのですが、『呉越春秋』では夫差は波の子=闔閭の孫という扱いになっているのかもしれません。

 

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方舟航買儀塵者、越人往如江也、治須慮者、越人謂船為須慮、亟怒紛紛者、怒貌也、怒至、士擊高文者、躍勇士也

本日読んだところ

二つを連結した船で、越人は江に往く。須慮を治すとは、越人は船を「須慮」と言うのである。亟怒紛紛とは、怒りの様子であり、怒りがはなはだしい。士が高丈を撃つとは、士を跳躍させ勇ませるのである。

無理矢理に訳しましたが、かなり意味が通じにくいです。

「方舟」とは「舟を二つ並べていかだのようにつなぐ」

「買儀塵」は意味がとれないです。何冊か注釈書にあたってみましたが、どれもわからないとのこと

次の「亟怒紛紛~」のところも前後のつながりがよくわからないです

「士擊高文者」 「文」は「丈」ではないかということ  戦士が高いところのものを撃って跳躍や武勇を鍛錬する?みたいな感じでしょうか しかしこれもよくわかりません