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先日出した本のタイトルが「スイ李之戦」なんですが、史料ではこういうふうに描写されています。

吳伐越,越子句踐禦之,陳于檇李。句踐患吳之整也,使死士再禽焉,不動。使罪人三行,屬劍於頸,而辭曰:「二君有治,臣奸旗鼓。不敏於君之行前,不敢逃刑,敢歸死。」遂自剄也。師屬之目,越子因而伐之,大敗之。靈姑浮以戈擊闔廬,闔廬傷將指,取其一屨。還,卒於陘,去檇李七里。(春秋左伝 定公十四年)

呉が越を伐った。越王句踐は、これを禦いで、スイ李に陣をはった。句踐は、呉軍が整然としているのを患いて、決死の士を二回やって呉の兵を擒にしたが、呉軍は動じなかった。句踐は罪人を三列にして行かせて首に剣をあてさせ、言った
「呉・越の二君が戦争するにあたり、我々は軍令を犯し、君主の軍行の先頭でよろしくないことをした。あえて刑を逃れず、死んでみせましょう」
ついに自ら首をはねた。呉軍はこれを見ていた。越王はそこで呉軍を伐ち、大いにこれを敗った。靈姑浮は戈で闔廬に撃ちかかり、闔廬は足の親指に傷を負い、靈姑浮は闔廬の靴の片方を取った。闔閭は引き返して、陘で死んだ。檇李を去ること七里だった。

 

細かい解釈の違いはありますが、だいたい意味はこんな感じです。
描写は比較的シンプルで、「決死の士を行かせた」「罪人に首をはねさせた」「靈姑浮が闔廬の足に負傷させた」という三点です。
ドラマなどでは「罪人に首をはねさせた」というあたりを強調されることが多いようです。

ただ、うちの作品ではこの部分は省いてしまいました。
敵の前で首をはねて相手を威嚇する、という事例は他の史料にも出てきますので、当時わりと普通に行われていたことかもしれません。
ただ、私としては、「自分がこの罪人だったらそのまま敵に寝返るよなー」と思ったのと、作中では比較的国力のある呉に対して、越は辺境の小国、句踐も即位したばかりで立場が不安定、という流れになっていましたので、拙作における句踐は、この時点では大勢の人間を自決させることができるような強大な権力は持っていないのです。

それと、今回は夫差と范蠡の出会いをまず第一に描こうと思いましたので、この二人を出すためにかなりオリジナルな展開になりました。
靈姑浮が闔廬に負傷させるところも、演出上弓矢を使っています。

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引き続きネーム中です。

明日からは、表紙に取りかかると思います。この週末を利用して、できるだけ進めておきたいです。

集中していかないと!

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引き続き、ネーム中です。

どうも、ページを詰めるのは無理っぽいので、44ページ本(本文40ページ)になりそうです。

プロット段階では38ページなのですが、奥付をいれても1ページ余裕があるので、大ゴマを入れて39ページ描くかもしれません。

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今日からネームに入りました。
ネームと言っても、コミックスタジオのページに、ワープロで打った台詞をぺたぺたとはって、コマ割りをざっくりする程度です。ページによっては絵も入れますが、本当にざっくり。

2月中にネームと表紙を終えて、3月から本文の作画に入りたいです。

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引き続きプロット中です。
一応、最後まで話は作ってみて、ページ割り振りをしてみました。
32ページに収めたかったのですが、やってみたら38ページになりそうな感じです。

明日以降、コミックスタジオに台詞を移していきますが、ページを詰めるのは難しいかもしれないです。腹を決めて38ページ描くかもしれません。

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サイトを更新しています

春秋時代についての漫画
http://haou.org/spring_and_autumn/2.html

「呉越春秋」巻一
http://haou.org/text/wuyuechunqiu/01.html

最近、ツイッターで毎日少しずつ「呉越春秋」という文献を訳してます。
タイトル通り、呉越のことを扱った文献です。後漢時代の作で、史料としての価値はあまりないのですが、自分の作品が呉越を扱っているということもあり、訳してみることにしました。

漢文を読むのも数年ぶり、しかも元々そんなに読めたわけでもないので、よくわからないところもあります。でも、とにかく読み進めていこうと思っています。
訳の正確性については保証できないので、だいたいこんなかんじ…という、自分の覚え書きとして。
随時修正をしていきたいと考えています。

 

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越に關する史料というと、春秋時代の同時代的な史料というのはあんまりなくて、戰國期以降に成立したとみられる説話が多い。各史料の成立年代をどうとらえるかにもよるけど、范さんの名前が出てくるのも戰國後期以降の文獻からになる。 

句踐の死後、戰國期になってから句踐の滅呉に關する説話がふくれあがって、呉越の復讐譚のようなものが形成されていって、そういう説話が史記の越世家などにも反映されてる。國語の呉語・越語にもそれぞれことなる系統の説話がみられる。

史料の中でも、史實である部分とあとから形成された説話的な部分がある。そして説話的な部分をどう扱うかということなんですが、自分の創作の中ではわりと切り捨ててしまうだろうなと。だからうちの句踐樣は薪の上で寢たりしません。

越が呉に討たれて句踐が呉に連れて行かれたとしても、普通に質として行ったんじゃないかと思うのですよ。。。呉越春秋なんかだといろいろひどい目にあってるようですが、そういうのはたぶん描かない。でも多くの人が惹きつけられるのはむしろそういう説話的な要素のほうなのかなとも思う。

だけど自分としては、むしろ説話的な傳説的な部分を取り去ったところに何があるかを描きたいのです。もちろんまんがなので史實通りというわけではなく、もしかしたらこんな感じだったんじゃないか、という自分なりの創作なので、ストーリー自體はオリジナル色が強くなると思います。

だからこれまでコミティアも歴史ではなく創作少女で參加してたんですが、歴史のほうがこういうのが好きな讀み手さんに見つけてもらいやすいかな?と思って、夏は歴史で參加することにしました。

(ツイッターに投稿した内容を再掲しました。)