四部叢刊本 故歌曰斷竹續竹飛土逐害之謂也
『藝文類聚』の引用により「續竹」を「属土」、『太平御覧』の引用により「逐害」を「逐肉」とする解釈があるようです。
呉越春秋異聞
四部叢刊本 故歌曰斷竹續竹飛土逐害之謂也
『藝文類聚』の引用により「續竹」を「属土」、『太平御覧』の引用により「逐害」を「逐肉」とする解釈があるようです。
三家之表について。
徐天祜注「意謂釋箕子之囚封比干之墓表商容之閭也」
箕子が囚われていたのを赦した、比干の墓に盛り土して祭った、商容の閭を表彰したことを指していると解釈されています。
越絶書巻十五
原文 屈原隔界放於南楚自沉湘水蠡所有也
越絶書の最後の文です。
屈原隔界 放於南楚 自沉湘水 ここまでは屈原が身を投げた故事を挙げ、越絶書の編者もまた水に沈んだといっている?
蠡所有也 は「蠡」に「むしばむ」という意味があるのでむりやり「持っていたものを全てむしばまれた→すべてが失われた」と訳しましたが、ちょっとよくわかりません。
「蠡」といきなり出てくるので、范蠡に関する記述が、どこからかくっついてしまったのかもしれません。
『越絶書』の編者は袁康、呉平という人であり、最終巻の文にはその名が隠されているされています。
実際にどうだったのかについては、意見が分かれています。
いずれにせよ、春秋時代当時の呉越の状況を正確に記録したものではなく、後漢ごろに伝わっていた呉越に関する伝承をまとめたものと考えられます。
原文「今不用天之道順地之理」
当サイトの訳は「不」は「用天之道」のみにかかり、「天」と「地」を対比していると解釈し、「いま、天の道を用いず、地の理に順って」と訳しています。
佐藤訳【01】では「不」は「用天之道順地之理」にかかると解釈し「天の道を用いず、地の利に順わず」とされています。
文法的にはどちらもありえます。
原文 邦賢以口為姓承之以天楚相屈原與之同名
この部分も前回の記事と同様に
「口」+「夫」で呉
屈原と名が同じ→屈原の諱は「平」
ということで、越絶書の選者が「呉平」という人物であるということを表しているようです。
越絶書の成立については、いずれまた改めて述べたいと思いますが、ここではそういう解釈で訳しておくことにします。