越絶書巻十

越絶外傳記呉王占夢第十二

昔、呉王夫差の時、その民は多く、穀物はよく実り、兵器と鎧は堅牢で、その民は戦闘に習熟していた。闔廬【欠落】、行うにふさわしい日があり、発するにふさわしい時があるという子胥の教えを絶った。姑胥の門を通過し、姑胥の台で昼寝をした。目覚めて起きると、その心は怨み嘆き、悔しく思うところがあるようだった。そこで太宰を召してこれを占わせて、言った
「さきに昼寝をし、夢で章明の宮に入った。二つの鬲があり火を炊いていたが穀物を蒸していないのを見た。二頭の黒犬が一頭は北に吠え一頭は南に吠えていたのを見た。二本のすきが吾が宮堂にたてかけてあるのを見た。流水がさかんに流れわが宮の垣を越えるのをみた。前園に横向きに桐が生えていたのを見た。後ろの部屋で鍛工が鼓を両方からささえ持ち小さく震えるのを見た。お前は私のためにこれを詳しく占え、吉であれば吉といい、凶であれば凶といい、私の心の従うところにへつらうことがないように」
太宰嚭は答えて言った
「よろしいことです。大王は軍隊を興して斉を伐って下さい。章明とは、斉を伐って勝ち、天下に名高くなるということです。二つの鬲があり火を炊いていたが穀物を蒸していないのは、大王の聖気があまりあるということです。二頭の黒犬が一頭は北に吠え一頭は南に吠えていたのは、四夷がすでに臣服し、諸侯を朝見させるということです。二本の鋤が宮堂にたてかけてあったのは、田夫を助けるということです。水がさかんに流れ宮堂を越えるのを見たのは、献上物がすでに至り、財があまりあるということです。前園に横向きに桐が生えていたのを見たのは、楽府の巧みな吹奏です。後ろの部屋で鍛工が鼓が小さく震えるのを手伝っているのを見たのは、宮女の鼓楽です」
呉王は大いに喜び、太宰嚭に色とりどりの絹織物四十疋を賜った。王の心は癒えず、王孫駱を召してこれに告げた。答えて言った
「私の智能は浅薄で、方術のことはわからず、大王の夢を占うことはできません。私は、東掖門亭長で越公の弟子の公孫聖を知っております。人となりは、幼くして学を好み、長じては博聞彊識、将来のことに通じておりますので、大王の夢を占うことができます。どうかこれをお召し下さい」
呉王は言った
「わかった」
王孫駱は文書をまわして言った
「今日壬午、左校司馬王孫駱は、命令を受けて東掖門亭長公孫聖に告ぐ。呉王は昼寝をし、目が覚めると心中は怨み嘆き、悔しく思うところがあるようだった。書面が至れば、車を馳せて姑胥の台に来るように」
聖は書面を得て、開けてこれを読み、地に伏して泣き、しばらく起きなかった。その妻大君は傍らより接してこれを起こし、言った
「どういうわけで大げさなのでしょう!主君に見えることを望み、にわかに急ぎの書面を得ることができたのに、泣いて止まないとは」
公孫聖は天を仰いで嘆いていった
「ああ、哀しいことだ。これはもとよりお前の知りうることではない。本日壬午、時は南方にあり、命は蒼天に属し、逃げることはできない。地に伏して泣くのは、自ら惜しむのではなく、ただ呉王のためである。こびへつらって發言すれば、師道は明らかでなくなる。正しい言葉で直諫すれば、身は死して功はない」
大君は言った
「あなたは無理にでも食べて自愛し、愼んでお忘れにならないで下さい」
地に伏して書き、すでに篇綴すると、そこで妻と腕をとって決別し、涕泣すること雨のようであった。車に乗って振り返らず、遂に姑胥の台に至り、呉王に謁見した。呉王は労って言った
「越公の弟子公孫聖よ、私は姑胥の台で昼寝をし、夢の中で章明の宮に入った。門に入ると、二つの鬲があり火を炊いていたが穀物を蒸していないのを見た。二頭の黒犬が一頭は北に吠え一頭は南に吠えていたのを見た。二本のすきが吾が宮堂にたてかけてあるのを見た。流水がさかんに流れわが宮の垣を越えるのを見た。前園に横向きに桐が生えていたのを見た。後ろの部屋で鍛工が鼓が小さく震えるのを手伝っているのを見た。お前は私のためにこれを詳しく占え、吉であれば吉といい、凶であれば凶といい、私の心の従うところにへつらうことがないように」
公孫聖は地に伏し、しばらくして起き上がり、天を仰いで嘆いて言った
「悲しいことだ。船を好ものは溺れ、騎馬を好ものは落馬し、君子は各々好むものを禍とする。へつらって申せば、師道は明らかでなくなり、正しい言葉で強く諫めれば、身は死して功はありません。地に伏して泣いたのは、自らを惜しんだのでなく、大王を悲しんだからです。章とは、戦って勝たず、驚き恐れて逃げることです。明とは明るさから遠ざかり暗さに近づくということです。二つの鬲があり火を炊いていたが穀物を蒸していないのを見たのは、王がまさに火でものを煮て食べることができないということです。二頭の黒犬が一頭は北に吠え一頭は南に吠えていたのを見たのは、大王の身が死し、魂魄が惑うということです。二本のすきが吾が宮堂にたてかけてあるのを見たのは、越人が呉国に侵入し、宗廟を伐ち、社稷を掘り起こすということです。流水がさかんに流れわが宮の垣を越えるのを見たのは、大王の宮堂が虚ろになるということです。
前園に横向きに桐が生えていたのを見たのは、桐は器に用いず、ただ木偶を作り死人と共に葬るということです。後ろの部屋で鍛工が鼓が小さく震えるのを手伝っているのを見たのは、ため息をつくことです。王はみずから行わず、臣下にやらせればよいでしょう」
太宰嚭・王孫駱は恐れ、冠と頭巾を取り、肩脱ぎして謝罪した。呉王は聖の言葉が不祥なのに怒り、そこでその身に自ら災いを受けさせた。そこで力士石番に、鉄杖で聖を伐たせ、これを断って頭を二つにした。聖は天を仰いで嘆いて言った
「天は冤罪をしっているか。直言して正しく諫めれば、身は死んで功績はない。私の家に私を葬らせず、私を山中に掲げていかせよ、後世に声を響かせよう」
呉王は人に秦餘杭の山に掲げていかせ、
「虎狼がその肉を食べ、野火がその骨を焼き、東風が至れば、お前の灰を飛び散らせる、お前はあらためて声を出すのか」
太宰嚭は進み出て再拝して言った
「逆言はすでに滅び、讒諛はすでに滅びましたので、そこで杯を飲み干し、時は行うことができます」
呉王は言った
「わかった」
王孫駱を左校司馬とし、太宰嚭を右校司馬とし、王は騎兵三千を従え、旌旗羽蓋、自ら中軍にいた。斉を伐って大いに勝った。兵を率いて三月去らず、通過して晋を伐った。晋はその軍隊が疲れ、糧食が尽いたのを知り、軍隊を興してこれを撃ち、大いに呉軍を破った。江を渡るとき、流血して屍を浮かせるものは、数えることができなかった。呉王は忍びず、その余兵を率いて、互いに率いて秦餘杭の山に至った。飢えて行軍は糧食に乏しく、視界が不明となった。地に拠って水をのみ、生稲を持ってこれを食べた。左右を顧みて言った
「これは何というのか」
群臣は答えて言った
「これは生稲です」
呉王は言った
「悲しいことだ、これは公孫聖が言った、王がまさに火でものを煮て食べることができないということだ」
太宰嚭は言った
「秦餘杭山の西側の斜面は清淨で、休息できます。大王は速やかに食事をとって行けば、なお十数里あるのみです」
呉王は言った
「私はかつて公孫聖をこの山で殺した。お前は試みに私のために先にこれを呼んでみよ、そこでなおここにいるなら、まさに声が響くであろう」
太宰嚭はそこで山に登って三度呼ぶと、聖は三度応じた。呉王は大いに恐れ、足はただれたようになり、顔は死人のような色になり、言った
「公孫聖が私に国を得させれば、誠に代々使えるであろう」
言葉がいまだ終わらないうちに、越王が追いかけてきた。兵は三度呉を囲み、大夫種は中軍にいた。范蠡は呉王を責めて言った
「王には過ちが五つあります。なんとこれをご存じであろうか。忠臣伍子胥、公孫聖を殺しました。胥の人となりは先見の明があり忠信であったのに、これを両断し江に投げ込みました。聖は正しい言葉で相手を憚らずに諫めたのに、身は死して功はありませんでした。これは大きな過ちの二つではないでしょうか。斉は罪がないのに、空しくまたこれを伐ち、鬼神を祀らせず、社稷を荒廃させ、父子を離散させ、兄弟を別居させました。これは大きな過ちの三つめではないでしょうか。越王句踐は、東の僻地にいるとはいっても、また天皇の位につながり得て、罪がないのに、王は常に茎を刈り取り馬に秣を食べさせ、奴隷のように扱いました。これは大きな過ちの四つ目ではないでしょうか。太宰嚭は他人を謗ってへつらい、王の血筋を断絶したのに、これのいうことを聴いて用いました。これは大きな過ちの五つ目ではないでしょうか。」
呉王は言った
「今日、教えを聞こう」
越王は歩光の剣を持ち、屈盧の矛を杖つき、目をみはって范蠡にいった
「お前はどうしてすみやかにこれを図らないのか」
范蠡は言った
「臣下は敢えて主を殺しません。臣が殺さずに主がもし亡くなるなら、今日へりくだって敬えば、天は微功に報いるでしょう」
越王は呉王に言った
「世に千歳の人はいない、死は一つである。范蠡は左手に鼓を持ち、右手にばちをとりこれを叩き、言った
「上天は青青として、あるいは存しあるいは亡びる。どうして軍士を待って、お前の首を断ち、お前の体を挫くのは、ほんとうに誤っていることではないか」
呉王は言った
「教えを聴きましょう。三寸の帛で私の目を覆ってください、もし死んで知ることになれば、私は伍子胥と公孫聖に会うのを恥じます。知ることがなければ、私は生きるのを恥じます。越王はそこで組みひもをほどいてその目を覆うと、ついに剣に伏して死んだ。越王は太宰嚭を殺し、その妻子を戮したのは、忠信でなかったためである。呉の血筋を断絶した。