原稿にはとりかかったんですが、まだ絵を描く段階ではなくて、今日はひたすら台詞のルビ振り→コマ割りでした。
枠線は、コミスタの機能でコマ割りをやって、それから別レイヤーを作ってマジックツールでなぞっていきます。
呉越春秋異聞
原稿にはとりかかったんですが、まだ絵を描く段階ではなくて、今日はひたすら台詞のルビ振り→コマ割りでした。
枠線は、コミスタの機能でコマ割りをやって、それから別レイヤーを作ってマジックツールでなぞっていきます。
5月新刊の台割が確定しました。
漫画部分が39ページになりました。
かなり集中してかからねばなりません。
今回は范さん(すごく描きにくい)が2ページしか出てこないので、前の本よりはペース上げられると思います。
文種さんの名前について
作品では隻眼の中年として登場する【1】文種さんですが、この人の名前は「左伝」「國語」では「大夫種」と表記されています。史記の呉世家・越世家でもやはり「大夫種」となっています。
それで、「索隱」ではこのように説明しています。
大夫、官、種、名也。一曰大夫姓、猶司馬司徒之比、蓋非也。
「大夫」は官名で、「種」が名である。一説に「大夫」が姓で、「司馬」や「司徒」のようなものであるというが、それは誤りであろう。
ここでは否定されていますが、大夫が姓で種が名という説がかなり根強くあったみたいです。
時代が降って、『呉越春秋』になると「文種」として出てきます。『越絶書』では「大夫種」です。
姓が「文」だったとすると、「范蠡」は「范蠡」と表記されているのに、なんでこの人だけ「大夫種」って書かれてるのか、そのへんがよく分かりません。
ただ、姓が「文」だとか「大夫」だとか、いろんな意見が出てしまうぐらいに、素性のわからない人だったのではないかと思います。范蠡氏もそうですが、あんまり名門の出身ではなかったのかもしれない。
ついでに、越の大夫靈姑浮ですが。
諸橋大漢和では「靈姑」を複姓としてるのですが、これはちょっと出典が分かりません。わかったらまた書きたいと思います。
脚注
【1】2024年、歴史創作活動を再開するに当たって、思うところがあって試験的に隻眼の設定をやめています。両目あります。
表紙制作中です。フーちゃんと、左の女性はフーちゃんのママン(故人)です。
本当は2月中に塗り終えたかった…のですがちょっと無理っぽいので、本文原稿と並行して少しずつ進めてと思います。
本は表紙込み44ページになる予定です。
越に関して、左氏伝の伝える『春秋』経文の記述はあまり多くありません。
昭5 冬楚子蔡侯陳侯許男頓子沈子徐人越人伐呉
昭8 冬十月壬午楚師滅陳執陳公子招放之于越
昭32 夏呉伐越
定5 於越入呉
定14 五月於越敗呉于スイ李
哀13 於越入呉
これくらいです。
公羊伝・穀梁伝の引く『春秋』だと若干の異動があるかもしれないですが、それにしても少ない。
当時はあんまり注目されてなかったようです。
注目されるようになったのは、句踐が覇者となって、後にその功績が高く評価されるようになってからでしょうか。