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呉越春秋 巻第九 句踐陰謀外伝

原文 「昔太公九聲而足磻溪之餓人也」

越絶書外伝計倪に「太公九十而不伐磻溪之餓人也」という記載があるので、「九聲而足」は誤りで、ここも「九十而不伐」に置き換えて読むという解釈もあるようです。

ここでは原文通り、九声(古代音律の九つの声)で満足している、と訳しておきました。

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越絶書巻十四

觀乎請糴能知【欠字】人之使敵邦賢不肖

知と人の間に1文字欠けています。ここでは「越」を補って、

「請糴内伝」の記述を見れば、越人がどのようにして敵国の賢人と不肖の人を利用したのかを知ることができ

のように訳しました。

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Twitter で少しずつ読んでいる「当時は」では、范蠡や伍子胥が「相國」として出てきます。

「相國」というのは、すごく雑に説明すると、「総理大臣」みたいなものです。

実際に、范蠡や伍子胥が越や呉の相國だったかというと、そういうわけではありません。

この時代、まだ「相國」という官はありませんでした。

「呉越春秋」というのは後漢時代に成立したと言われる文献ですので、当時の人が編纂するにあたって、范蠡や伍子胥を「こいつら総理大臣ぐらい偉かっただろう」という感じで「相國」としたんじゃないかと。

ちなみに「越絶書」では「相國」は使われていません。

 

私の漫画でも、作中で伍子胥を「相國」として出したんですが、描いたときは、他の人より偉いということを表現するためにそういう用語もいいかなー、呉越春秋で使ってるし…と思ってました。今考えてみると、ちょっと悩むところですね。でも「総理大臣」も変だし…。

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呉越春秋巻第八 句踐帰国外伝

大夫浩の発言

外有侵境之敵、内有爭臣之震、其可攻也

「争臣」には「君主を諌める臣下」(=諍臣)という意味があります。また、「震」には「怒り」という意味があります。

そこで、ここは「内には諫臣の怒りがあり」と訳しました。

 

しかし「争臣」を「臣下が争っている」、「震」を「威」と解釈し、

「内に臣下の争いという脅威があり」のようにも読めそうです。

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越絶書 越絶巻第十四 越絶徳序外伝記第十八

子胥賜劍將自殺歎曰嗟乎眾曲矯直一人固不能獨立

ここの「眾曲矯直」なんですが、「多くの曲がったことが正しいことをまげてしまい」と訳しています。前後の文脈からこのように訳しました。「こと」は「者」でもいいかもしれません。

ただ、「曲」と「直」が対になっているので、「眾」と「矯」も対になるように読めればすっきりしそうな気がします。

ただ、意味が通りません。ちなみに「矯直」で「ためて直くする」という熟語とすることもあるようです。(大漢和辞典)

この訳のような読み方でいいのか、どこか原文がおかしくなっているのか、今のところはわかりません。