呉越春秋「仁人不因居」
注が付いていて、越絶では因居を困厄につくる、とあったので、訳はそちらの意味を取って訳しました。
しかし、越絶のどの部分のことを言っているのか、わかりませんでした。
今後わかったらあらためて書きたいと思います。
呉越春秋異聞
呉越春秋「仁人不因居」
注が付いていて、越絶では因居を困厄につくる、とあったので、訳はそちらの意味を取って訳しました。
しかし、越絶のどの部分のことを言っているのか、わかりませんでした。
今後わかったらあらためて書きたいと思います。
『呉越春秋』是君上驕下恣群臣、而求以成大事、難矣。
原文は「上驕下恣群臣」だったのですが、『史記』孔子弟子列伝ではこう(↓)なっていたので
是君上驕主心、下恣群臣、求以成大事、難矣。
「主心」を補って訳しておきました。
今太子不祿、早失侍御、今王欲立太子者、莫大乎波秦之子夫差、闔閭曰、夫愚而不仁、恐不能奉統於呉国。
今日読んだあたり
太子不禄 先日読んだ越絶書呉内伝では「天子稱崩、諸侯稱薨、大夫稱卒、士稱不祿」となってました。
ここでは太子に「不祿」を使ってます。
波秦之子夫差 「秦」がよくわかりません。衍字としている説もあります。
夫愚而不仁 「夫」のあとに「差」が抜け落ちていて「夫差愚而不仁」ではないか、という説もあります。でも「夫」を助字として読めないこともないと思います。
このあと伍子胥の台詞として「父死子代、經之明文」とあるので、やはり『呉越春秋』においては夫差は太子波の子として扱われていると読んだ方が素直かなあ…と思います。
越絶書巻三 越絶書巻三呉内伝第四
ツイッターで訳していたものを、まとめて公開しました。
「呉内伝」となってますが、記述は呉に限らずいろいろな方面に及び、全体としてのまとまりがないというか、ちょっと何が言いたいのかわからない文章でした。
明日以降は、巻四計倪内経を少しずつ読んでいこうと思います。
本日訳したところ
原文「波太子夫差日夜告於伍胥曰」
ここはちょっと読みにくいんですが、注釈書によっては「波太子子夫差」または「波子夫差」の誤りとして『呉越春秋』では夫差は太子波の子で闔閭の孫だとしてる本もあります。
それとは別に「波太子」が「次太子」の誤りで、やはり夫差は闔閭の子であろうと解釈してるものもあります。
なるべく原文に近い形で訳したかったので、いまは「波の子夫差」としておきました。
他の史料の記述からしても、夫差は闔閭の子でないとおかしいのですが、『呉越春秋』では夫差は波の子=闔閭の孫という扱いになっているのかもしれません。