謝戦者五父
越絶書
太宰嚭率徒謂之曰。謝戰者五父。越王不忍,而欲許之。范蠡曰,君王圖之廊廟,失之中野,可乎?謀之七年,須臾棄之。王勿許,吳易兼也。越王曰,諾。
「太宰嚭率徒謂之曰」のあとは文が抜けているようです。
「謝戰者五父」ですが、このあたりはおそらく國語「越語下」のこの部分に対応していると思われます。
吳人聞之,出而挑戰,一日五反。王弗忍,欲許之。范蠡進諫曰,夫謀之廊廟,失之中原,其可輿?王姑勿許也。臣聞之,得時無怠,時不再來,天予不取,反為之災。贏縮轉化,後將悔之。天節固然,唯謀不遷。王曰諾。弗許。
この「越語」の文から「五父」は「五反」であるとする解釈もあるようです。
ただ、越絶だと越王は「呉をゆるそうとした」ととれるのに対し、越語では「呉に応戦することをゆるそうとした」ということになっています。
越語と越絶が完全に対応するわけではなさそうなので、ここでは「戦を謝罪する者は五人」と訳しておきました。