波太子夫差日
本日訳したところ
原文「波太子夫差日夜告於伍胥曰」
ここはちょっと読みにくいんですが、注釈書によっては「波太子子夫差」または「波子夫差」の誤りとして『呉越春秋』では夫差は太子波の子で闔閭の孫だとしてる本もあります。
それとは別に「波太子」が「次太子」の誤りで、やはり夫差は闔閭の子であろうと解釈してるものもあります。
なるべく原文に近い形で訳したかったので、いまは「波の子夫差」としておきました。
他の史料の記述からしても、夫差は闔閭の子でないとおかしいのですが、『呉越春秋』では夫差は波の子=闔閭の孫という扱いになっているのかもしれません。