左伝哀公元年②
つづき
使大夫種因呉大宰嚭以行成。呉子將許之。
大夫種をつかわして呉の大宰嚭をつうじて和平を行おうとした。呉子はまさにこれを許そうとした。
左伝では、大夫種が和平の使者となった、そのさい呉の太宰伯嚭を通じて和平を行おうとした、ということが書かれています。
これが「越語上」では伯嚭に美女を贈った云々というのが加わってくる。
山に立てこもっていたのに美女を贈るというのはどうにも違和感を感じます。
おそらく美女を贈ったというのはあとからくっつけられたエピソードで、伯嚭を「女に目がくらんだだめなやつ」とする価値観が、後世になってだんだんできあがっていき、それにあわせて付け加えられたのではないかと思います。