呉語

 呉王夫差は兵をおこして越を伐ち、越王句踐は兵をおこしてこれを浙江に迎え撃った。大夫種はそこで謀を献じて言った
「いったい呉と越とは、ただ天が授けるところです。王は戦をなさってはいけません。 いったい申胥と華登は呉国の士に軍事を習わせ、未だ嘗て挫けたことはありません。いったい、一人がよく弓を射れば、百人がゆがけとゆごてを身につけます。勝利はいまだ確かなものではありません。いったい謀とは必ず事がなるのを予見し、しかるのちこれを行わなくてはなりません。生命を投げ出すべきではありません。王は軍をととのえ、誓約の辞をなし和平を行い、呉の民を喜ばせ、呉王の心を広く大きくするにこしたことはありません。私がこれを天に占ってみますと、天がもし呉を棄てるなら、必ずや我々の和平を許し、我々を恐れるに足らないとして、まさに必ず心広く緩やかにして諸侯に覇たるの心をもつでしょう。すでにその民が疲れてから、天が食物を奪い、そしてその余りを受ければ、呉の天命はなくなりましょう」
 越王は許諾し、そこで諸稽郢に命じて呉との和平を行わせ、言った
「わが君句踐は、いやしい臣である郢をして、あきらかに玉帛を並べ礼を行うことをせず、ひそかに身分の低い執事に告げさせて申しますには、『昔、越国は禍にあって天王に対し罪を得ました。天王はみずからおみ足を趨らせ、心をもって句踐をしりぞけ、そしてまたこれを宥しました。君王は越にとって、死人を起こして白骨を肉とするものです。私はあえて天災を忘れず、あえて君王の大いなる恵みを忘れるでしょうか。いま句踐は、禍を重ねて善いところがなく、野にあって礼を知らない人であり、あえて天王の大いなる徳を忘れ、国境のつまらぬ争いを怨み、もって罪を下執事に重ねることを得ましょうか。句踐は、二三の家臣をひきい、みずから重罪に帰して、辺境で額づきましょう。いま君王にはわかっていただけず、さかんに怒って兵をあつめ、まさに越国を残伐しようとしておられます。越国はもとより呉に貢ぎ物をたてまつる邑です。君王はむちをもってこれを使わずに、かたじけなくも軍士に敵の侵攻を防御する号令をさせられました。句踐は盟を請い、一介の嫡女はちりとりとほうきをとり王の後宮に備わり、一介の嫡男はたらいを奉って諸御に従いましょう。春秋に貢ぎ物をたてまつり、王府に怠ることはありません。天王はどうして意をかたじけなくしてこれをおさえとどめましょうか。また諸侯を統べる礼でございます。諺に、狐がかくし、狐があばく、これは成功することはない、といいます。今天王はすでに越国に領地を与えて諸侯とし、明らかに天下に聞こえさせたのに、またこれを刈り滅ぼそうというのなら、天王の成功はないでしょう。四方の諸侯といえども、なんの事実によって呉につかえるでしょうか 』あえてわたくしに辞を尽くさせます、ただ天王は利をえらんで便宜をおしはかっていただきたい」
 呉王夫差はそこで諸大夫に告げて言った
「私はまさに斉を伐つという大志があるので、私は越を許そうと思う、なんじは私の考えに逆らってはならない。もし越がすでに改めたなら、私はまた何を求めるだろうか。もし改めなければ、斉を伐ってから兵を整えて帰り、越を伐つ」
 申胥が諫めて言った
「許してはなりません。そもそも越は、本当に越に対して忠信し友好的ではなく、また我が軍隊の強さを恐れているのでもありません。大夫種は、勇にして謀に長け、まさに呉国を股や掌の上で転がしも弄んで、その志をとげるでしょう。もとより君王が威をたっとび勝ちを好むのを知っていて、ゆえにその辞を控えめにし、王の志をほしいままにし、諸夏の国に淫楽し、みずから傷つけさせようとするのです。我々の武具と武器をなまくらにし、民を離れ去らせて、日ごとに憔悴させ、しかるのちにたやすく我々の余りを手に入れようとするのです。越王は信を好み民を愛し、四方はこれに帰し、穀物は時にあたって実り、日々さかんに進みます。我々がなお戦うべきときに、小蛇をくだかなければ、大蛇となってまさにどうするべきでしょうか」
呉王は言った
「大夫はどうして越を盛んだとするのか。越など大げさに考えるに足るだろうか。もし越がなければ、私はどうして春秋にわが軍士を輝かせようか」
そして越に和平を許した。まさに盟おうとするにあたり、越はまた諸稽郢をつかわし辞退して言った
「盟をもって有益とすると、前回の会盟の時にすすった血が未だ乾いておらず、信を結ぶに足ります。盟をもって無益とすると、君王は武器と武具の威光を臨み使うのをやめて、どうして鬼神を重んじ自らを軽んずるのですか」
呉王はそこでこれを許し、講和するのみで盟わなかった。
 呉王夫差はすでに越の和平を許し、そこで大いに軍隊に命じ、まさに斉を伐とうとした。申胥は進んで諫めて言った
「昔、天は越を呉に賜りましたが、しかし王は受けませんでした。天命はくつがえることがあり、いま越王句踐は恐懼してその謀を改め、その誤った命令をすて、その租税を軽くし、民のほしいものを施し、民の悪むものを取り去り、自らは倹約し、万民を豊かにし、民は栄えて多く、軍備は多くなっています。越は呉にとって、人の腹と胸に病気があるようなものです。越王は呉を敗ることを忘れず、その心は憂い悲しみ、兵士を訓練し我々の隙を伺っています。いま王は越のことを図られずに、斉・魯を憂いておられます。斉・魯はもろもろの病気にたとえれば、疥癬です。どうして江・淮を渡って、我々とこの地を争うことなどできましょうか。まさにかならず越は呉の土地を保有しようとしているのです。王はどうして人を鏡とし、水に映る形を鏡としないようにされないのですか。
 昔、楚の霊王は君主としての道に外れ、その臣下が諫めても受け入れず、そして台を章華の上に築き、穿って石郭をつくり、漢水を塞いで帝舜の墓を象り、楚国を疲弊させ、陳・蔡をうかがい、方城の内をおさめず、諸夏をわたり東国を征服しようと図り、三年沮・汾において呉越を征服しようとしました。その民は飢えと疲れのわざわいに忍びず、三軍は王に乾谿で反乱をおこしました。王は自らただ一人で行き、山林の中を不安に思ってさまよい、三日目にやっと掃除係の疇に出会いました。王はこれを呼んで言いました、『わたしは三日食べていない』疇は走り進み出て、王はそのももを枕にし地べたに寝ました。王が眠ると、疇は土塊を王の枕にし逃げ去ってしまいました。王は目が覚めると疇の姿が見えないので、匍匐してまさに棘の門に入ろうとしましたが、棘の門では入れなかったので、そこで芋尹の申亥氏が王を入れました。王は首をくくり、申亥は王を背負って帰り、その室の土に埋めました。この記録は、どうして諸侯の耳からにわかに忘れられましょうか。今王はすでに鯀・禹の功績を変えて、台やうてなを作り、汀や池を深くし、民を姑蘇に疲れさせ、天は我々の食物を奪い、都鄙は餓えを重ねています。今王はまさに天に従わず斉を伐とうとしていますが、呉の民は離反し、体は傾くところがあり、たとえるなら群れている獣のようなもので、一匹矢を負えば、百の群れが皆逃げてしまい、王は撤兵する道がなくなるでしょう。越人は必ず呉に来襲し、王がこれを悔いたとしてもどうして間に合うことがありましょうか」
王は聞かなかった。十二年、遂に斉を伐ち、斉人と艾陵で戦い、斉の軍は敗れ呉人に功があった。
 呉王夫差はすでに斉人に艾陵で勝ち、行人の奚斯に斉に言い訳をさせた
「私は粗末な呉国の兵をひきいて、汶水のほとりに沿っていき、あえて左右の斉の民に暴掠をしなかったのは、ただよしみがあったからです。いま大夫国子は多くの人民を動員し、呉国の軍隊を犯し動かしました。天がもし罪あることを知らなければ、どうして我が国に勝たせましょうか」
呉王は斉の討伐より還ると、申胥を責めて言った
「昔わが先王は、徳を身につけ聖明であり天に達した。たとえるなら、農夫が二人組になり四方のよもぎを刈り取るようなもので、楚を破って名を立てたのは、大夫の力である。今大夫は老い、また自ら心安らかにせず、家にいて呉国に悪をなそうとし、外に出ればすなわち我が国の民にわざわいをなし、百の法をみだし、妖言をもって呉国にわざわいをなしている。今天は呉に善をもたらし、斉の軍は降服した。私はどうして自らを立派だと考えようか。先王の鍾鼓をまことに用いて霊験があったのである。あえて大夫に告げよう」
申胥は剣を置いて答えて言った
「むかし、わが先王には代々補弼の臣があって、よく疑わしきをただし悪を計り、大難に陥ることはありませんでした。今、王は老人を棄て、子供と一緖に謀り、『私が命令して従わないものはない』とおっしゃいます。従わないものがないというのは、すなわち道に違うということです。従わないものがないというのは、滅びの階段です。そもそも、天が見棄てるところは、必ずしばしばその小喜を近づけ、その大憂を遠ざけるものです。王がもし斉に対する志をかなえられず、王の心を悟るならば、呉国はなお代々続くでしょう。わが先君が楚に勝ちましたのは、かならず取るところがあったからであり、楚に敗れたのは、必ず棄てるところがあったからです。もってまことにたすけて十分な地位を保って失わずそして終わり、しばしば傾きを救うのに時を失いませんでした。今、王は取るところがないのに、天の恵みがしばしば至っています。これは呉の命が短いということです。私は気の病になったと称し王がみずから越の擒になるのを見るに忍びません。どうか先に死なせてください」
遂に自殺した。まさに死のうとするときに、言った
「私の目を東門に懸けよ、越人が侵入し、呉国の滅びるのを見てやろう」
王は怒って言った
「私は大夫が見られないようにしてやる」
そこで申胥の屍を取り、皮の袋に入れ、これを江に投げ込ませた。
 呉王夫差はすでに申胥を殺し、穀物が実らなかったが、軍を起こして北征した。深い運河を穿ち、宋・魯の間に通じ、北は沂水におよび、西は済水におよび、晋の定公と黄池で会盟した。ここにおいて、越王句踐は范蠡・舌庸に命じ、軍を率いて海にそって淮水をさかのぼり、呉の帰路を断ち、王子友を姑熊夷に破った。越王句踐は江をさかのぼり中軍を率いて呉を襲い、その郭に入り、姑蘇を焼き、大舟を取った。呉と晋は会盟の長を争って未だ定まらなかったところ、国境の早馬が至り、越の反乱を告げた。呉王は恐れて、大夫を集め謀って言った
「越は無道をなし、その同盟に背いた。いま、我々の道のりは遠い。会盟せずに還るのと、会盟して晋の順次を先にするのと、どちらに利があるだろうか」
王孫雄は言った
「危急のことに年次は関係ありません、私があえて先に答えましょう。二者とも利はありません。会盟せずに帰れば、越の評判が明らかとなり、民は恐れて逃げ、道は遠く行くところはありません。斉、宋、徐、夷は『呉はすでに敗れた』と言って、運河をさしはさんで我々を横から撃ち、我々は命がないでしょう。会盟して晋を先にすれば、晋はすでに諸侯の権力を握って我々に臨み、その志をとげて天子にまみえるでしょう。我々はこれを待つことができず、ここから去るのも忍びません。もし越の評判がますます明らかになれば、吾が民は恐れて反乱を起こすでしょう。必ず会盟してこれに先んじるべきです。」
王はそこで王孫雄に歩み寄り言った
「これに先んじるには、これを図るにどうしたらいいだろうか」
王孫雄は言った
「王はお疑いになりませんように、我々の道のりは遠いですが、かならず二つの命令がないなら、事をなしとげることができます。」
王孫雄は進みでで、顧みて諸大夫に会釈して言った
「危事に安んずることができず、死事に生きることができないのは、知恵をたっとぶことではありません。民が死を悪んで富貴を欲し、長生きして死にたいと思うのは、我々と同じです。しかし、彼らはその国に近いので転じて退くことができますが、我々の道は遠いので、転じて退くことができません。彼らはどうしてよく我々と争って死ぬことがありましょうか。君に事えて勇にして謀あるのをいま用いて、今夕かならず晋に挑戰して民心を広大にするべきです。どうか王は、士卒を勉励し、その群勢を奮い立たせ、これを励ますのに高位と財宝をもってし、刑罰を具えて励まない者を辱め、各々にその死を軽んじるようにさせれば、彼らはまさに戦わずして我々を先にし、我々はすでに諸侯の盟主となり、歳の収穫がないことで諸侯の貢賦を責めることなく、諸侯を先に帰せば、諸侯は必ず喜びます。すでにみなその国境に入れば、王は安らかにその志を寛くし、一日急ぎ一日ゆっくりとし、安らかに王の志を行い、この民を江淮の間に封じればすなわちよく呉に至ることができます」
呉王は許諾した。
呉王は日暮れに命令して馬にかいばを与え士に食べさせ、夜半に武器を取り甲を身につけ、馬の舌を縛り火を竈から出し、卒百人を並べて徹行を百行つくり、行頭にみな官帥がいて、鐸を抱きほこを供え、肥胡の幡を立て文犀の楯を奉じ、十行に一嬖大夫がいて、旌を立て鼓を提げ、兵書を脇に挟んで太鼓のばちを執り、十旌に一將軍がいて、常を戴せ鼓並べ立て、兵書を脇に挟んで太鼓のばちを執り、一万人で方陣を作った。皆白い常に白い旂、白い甲に白羽の矢で、これを望むと茅のようであった。王はみずから鉞を執り、白旗を載せて中陳をひきいて立った。左軍もまたこのようであった;みな赤い常に赤い旟、丹の甲に朱羽の矢で、これを望むと火のようであった。右軍もまたこのようであった;黒い常に黒い旗、烏の羽の矢で、これを望むと墨のようであった。鎧を身につけた兵士三万をなし、勢いをもって攻め、鶏の鳴き声がすると定まり、すでに陣をつくり、晋軍からの距離は一里であった。未明に、王はばちを執り、みずから鐘鼓・丁寧・錞于を鳴らし鐸を振るうと、勇者も臆病者もことごとく応じ、三軍はみなかまびすしく叫んで兵を整え、その声は天地を動かした。晋の軍は大いに驚き出ず、軍をめぐらし塁をつくり、そこで董褐に事情を問わせて、言った
「両君は戦いを止めてよしみを交えるのに正午を期限としたのに、いま大国は順序をこえて、我が軍塁に至りました。順序を乱されたわけを伺いたい」
呉王はみずから答えて言った
「天子の命があり、周室は衰えて、貢献の入るものはなく、上帝鬼神は告祭することができず、姫姓のたすけはなく、徒歩や駅伝の馬車でやってきて私に告げるのが日夜続いている。匍匐して晋君のところにやってくると、君は今周の王室が平安でないのを憂うのではなく、晋の民が多いことを安んじ恃み、戎翟楚秦を征伐するのに用いず、長幼の節にしたがわず、力をもって一、二の同姓の兄弟の国を征伐した。私は吾が先君の爵の順位を守ろうとし、先君の爵を超えることはできないし、先君に及ばないこともできない。今、会合の日が迫り、事を成すことができずに諸侯の笑いものになることを恐れるのである。私が君に事え晋を盟主にするのも今日のことであり、君に事えることができず呉を盟主にするのも今日のことである。使者のいるところは遠くないので、私はみずから命を籬の外で聞こう。」
董褐がまさに帰ろうとすると、王は軍の左方の部隊を呼んで言った
「少司馬茲と王の士五人を連れてきて王の前に座らせよ」
そこでみな進み出てみずから首をはね、客に報いた。
 董褐はすでに晋君に命を伝え、そこでこれを趙鞅に告げて言った
「私は、呉王の顔色が大いに心配事があるように見えました。心配事が小さいものなら、寵愛する妾や嫡子が死んだのであり国の大難ではないでしょう。心配事が大きいものなら、越が呉に侵入したということです。まさに暴れようとしており、戦うべきではありません。あなたは呉を先にするのを許し、危機を待つことがないようしてください。しかし、いたずらにこれを許すべきではありません」
趙鞅は許諾した。
 晋はそこで、董褐に復命させて言った
「わが君は未だ軍隊を示してみずから見えません、そこでわたくし褐に復命させて申し上げます。君の言葉によれば、『周室はすでに衰え、諸侯は天子に対する礼を失っている。どうか亀甲で占いをし文武の諸侯を天子に奉らせたい』ということでした。私は天子の近くにいて、罪を逃れることができません。天子の責める言葉が日々至り、言われますには『昔呉の伯父は季節を外すことなく必ず諸侯を率いて私一人を顧みた。いま伯父は蛮荊に備え、礼を前人のように続けられない』ということでした。そこで私に命じて礼をもって周公を助け、一、二の兄弟の国に見え、君の憂いをやませようとしました。今君は東海をおおって王となり、僭号は天子に聞こえています。君は短くても超えるべきでない礼という垣根があるのに、みずからこれを越えました。まして蛮荊であればどうして周室に義がありましょうか。命圭に命があり、もとより呉伯というのであり、呉王とはいいません。諸侯はこのことをもってあえて呉に事えないのです。諸侯に二君はなく、周に二王はありません。君がもし天子を卑しめてその不祥を犯すことがなく、呉公と名のるなら、わたしはあえて君が長子・弟の順序を命じるのに従って許諾しないことがありましょうか」
 呉王は許諾し、そこで退いて帳の中に入って会盟した。呉公が先に血をすすり、晋侯がこれに次いだ。呉王はすでに会盟した。越の評判はますます明らかになり、斉・宋が自分を害するのを恐れ、そこで王孫雄に命じて先に勇獲と歩兵を率いさせ、宋を通り過ぎる客となり、その北の郭を焼き、これを通り過ぎた。
呉王夫差はすでに黄池より退いた。そして王孫苟に、周に功績を告げさせて言った
「昔、楚人は不道をなし、王事を承けつつしまず、我が一・二の兄弟の国を退けました。我が先君の闔廬は、赦さず忍びず、鎧を着て剣を帯び、剣を抜き、鐸を振り、楚の昭王を中原の桕挙に逐いました。天は呉に善をほどこし、楚の軍は敗れ、王はその国を去りました。呉はついに郢に至り、王は百官を統べ、その社稷の祭を奉ったが、その父子昆弟はそれをよしとせず、夫槩王が反乱を起こしたので、呉に復帰しました。いま斉侯仼は楚の敗北を鑑みず、また王事を承けつつしまず、我が一・二の兄弟の国を退けました。夫差は赦さず忍びず、鎧を着て剣を帯び、剣を抜き、鐸を振り、汶水に沿って博を伐ち、雨具を身につけて艾陵に相望むと、天はその善をほどこし、斉の軍は敗れました。夫差はどうしてみずから功多しとするでしょうか、文王・武王がまことに善を施したのです。帰国して収穫が熟さないうちに、私は江水に沿って淮水をさかのぼり、溝をうがち川を深くし、商・魯の間に出て、兄弟の国に達しました。夫差はよく功を成しましたので、あえて苟をして下執事に告げさせます」
 周王は答えて言った
「苟、伯父はなんじに命じて来させ、先王の礼を継いで私一人に献じた。私はこれを喜ばしく思う。昔、周室は天が禍を降らせたのに逢い、民の不祥に遭った。私の心はどうして憂えないことがあろうか。ただ天下が安らかに治まらないというだけではない。今、伯父は「力を合わせて徳を同じくする」という。伯父がもしそのようにするならば、私一人かねて汝の大いなる福を受け、伯父は多く年を重ねて善く生涯を終えることができよう。伯父は徳をとること広大である」
 呉王夫差は黄池より還って、民を休めて警戒しなかった。越の大夫種はそこで謀を唱えて言った
「私が思いますに、呉王は遂に我々の地に侵入しそうでしたが、今軍を休めて警戒せず、我々を忘れています。我々は怠ってはなりません。昔、私は天に占ってみましたが、今呉の民はすでに疲れ、大いに不作でしきりに餓え、市には赤米すらなく、穀物倉は空で、その民は必ず移って東海の浜でがまの間で蛤を食べるでしょう。天の占いはすでに見えており、人事もまた見えているので、私は占いをすてます。王は今軍隊を起こして会戦し、その利を奪い、かれらに過ちを悔いさせないようにしてください。呉の辺鄙遠方の者は、帰郷してしまっていまだ都には至りませんが、呉王は戦わないことを恥じて必ずや遠方の兵が集まるのを待たずに、国都の軍だけで我々と戦おうとするでしょう。もし我々にしたがって戦えば、我々は遂にその地に足を踏み入れ、集まってきた呉の辺境の兵もまた会戦することができません。我々は禦児の兵を用いてこれに臨みましょう。呉王がもし怒って戦うなら幸いにも出奔させることができ、戦わないならば和平を結んで、王は安んじて厚く名を取り、ここを去ることができます。越王は言った
「よろしい」
そこで軍隊を大いに警戒させてまさに呉を伐とうとした。
 楚の申包胥が越に使者としてやってきた。越王句踐はこれに問うて言った
「呉国は不道をなし、我々の社稷宗廟を壊して平原とし、祖先のまつりを絶やすことを求めている。私はこれと天のまことを求め、車馬将兵はすでに具わったが、これを用いることができない。戦うにはどのように用いたらいいのか教えてほしい」
包胥は謙って言った
「わかりません」
王が強くこれに問うと、そこで答えて言った
「呉は善い国です。広く諸侯から貢ぎ物と年貢をおさめさせることができます。あえて君王がこれと戦う方法をお聞きしましょう」
王は言った
「私の近辺では、觴に入れた酒、豆に入れた肉、簞に入れた飯は、未だ嘗てあえて分け与えないことはない。飲食は旨いものにせず、音楽を聞くのにも声を尽くさず、呉に報復しようとしている。これをもって戦いたい」
包胥は言った
「善いには善いが、いまだ戦うことはできません」
王は言った
「越国の中で、病気にかかった者がいれば、私はこれを見舞う。死んだ者がいれば、私はこれを葬る。長老を敬い、幼い者慈しみ、孤児を養育し、病気の者を見舞い、呉に報復しようとしている。これをもって戦いたい」
包胥は言った  
「善いには善いが、いまだ戦うことはできません」
王は言った
「越国の中で、私は民に寛容にしてこれを子のようにあつかい、真心を尽くして恵んでこれに善を施し、私は法令を修め、刑をゆるやかにし、民の欲するところを施し、民の悪むところを除き、その善を称えてその悪をかばい、呉に報復しようとしている。これをもって戦いたい」
包胥は言った
「善いには善いが、いまだ戦うことはできません」
王は言った
「越国の中で、私は裕福な者を安んじ、貧しい者には与え、その不足を救い、その余剰に税をかけ、裕福な者も貧しい者も皆利益を得られるようにし、呉に報復しようとしている。これをもって戦いたい」
包胥は言った
「善いには善いが、いまだ戦うことはできません」
王は言った
「越国の南は楚であり、西は晋であり、北は斉である。春秋に皮幣玉帛子女を貢いで来朝して服従すること、未だ嘗て絶やしたことはなく、呉に報復しようとしている。これをもって戦いたい。
包胥は言った
「よろしいでしょう、これに加えることはありません。しかし、なおいまだ戦うことはできません。戦というものは、知を第一とし、仁がそれに次ぎ、勇が それに次ぎます。知でなければ、民の中ほどを知ることはできず、天下の多寡をはかることはできません。仁でなければ、三軍と餓えと疲れのわざわいを共にすることができません。勇でなければ疑いを断って大計を発することができません」
王は言った
「わかった」
越王句踐はそこで五大夫を召して言った
「呉は不道をなし、我々の社稷をそこない平原となし、祖先の祀りができないようにした。私はこれにたいし天の恵みを求めようと思う。ただ、車馬や武器、兵士は既に具わっているが、これを行うことができない。私が王孫包胥に問うたところ、既に私に告げた。あえて諸大夫に問うが、戦いはどうしたらできるだろうか。句踐が願うに、諸大夫がこれを言うのに、みなまことをもって告げてほしい。わたしにおもねらないように、私は大事を行おうとしているのである」
そこで大夫舌庸が進み出て答えて言った
「恩賞をつまびらかにすれば、戦えるでしょうか」
王は言った
「よく通じている」
大夫苦成が進み出ていった
「罰をつまびらかにすれば、戦えるでしょうか」
王は言った
「厳格勇猛である」
大夫種が進み出ていった
「旗をつまびらかにすれば、戦えるでしょうか」
王は言った
「よくわきまえている」
大夫蠡が進み出ていった
「守備をつまびらかにすれば、戦えるでしょうか」
王は言った
「攻め入られることはない」
大夫皐如が進み出ていった
「鍾鼓の進退の音声をつまびらかにすれば、戦えるでしょうか」
王は言った
「戦うことができる」
王はそこで官吏に命じて大いに国に命令して言わせた
「いやしくも軍役にたえるものは、みな国門の外に至れ」
王はそこで国に命令して言った
「国人で告げようとするものは来たりて告げよ、私に告げて欺き詐るところがあればまさに戮せられて利はない。五日に及ばないうちに必ずこれをつまびらかにせよ、五日を過ぎれば戦術は行われない」
王はそこで入って夫人に命じ、王は屏に背を向けて立ち、夫人は屏に向かって立った。王は言った
「今日より以後、内政は出ることがなく外政は入ることがない。内に恥があればお前の責任であり、外に恥があれば私の責任である。私がお前に合うのはこれでおわりだ」
王はついに出て、夫人は王を送り、屏より出ず、左の門を閉じてこれを土で塞ぎ、簪をとって一つの座席だけ設けて座り、掃除をしなかった。王はひさしに背を向けて立ち、大夫はひさしに向かって立った。王は言った  
「領地が公平でなく、土地が開墾されず、国に内に恥があればお前の責任であり、軍士が死を恐れ、外に恥があれば私の責任である。今日より以後、国政は出ることがなく軍政は入ることがない。私がお前に合うのはこれでおわりだ」 王はついに出て、大夫は王を送り、ひさしより出ず、左の門を閉じてこれを土で塞ぎ、一つの座席だけ設けて座り、掃除をしなかった。王はそこで壇列に行き、鼓を鳴らして軍隊のところに行き、罪のあるものを斬ってとなえて言った
「このように環瑱をもって賄賂にし軍を乱すことがないように」 明くる日、宿営をうつし罪のあるものを斬ってとなえて言った 「このように隊伍の命令に従わないことがないように」
明くる日、宿営をうつし罪のあるものを斬ってとなえて言った
「このように王の命令を用いないことがないように」
明くる日、宿営をうつし禦児にいたり罪のあるものを斬ってとなえて言った
「このように淫逸でつつしまないことがないように」
王はそこで官吏に命じて、大いに軍にとなえて言った
「年老いた父母がいて、兄弟のないものは告げよ」
王はみずからこれに命じて言った
「私は大事を成そうとしている。あなたに年老いた父母があり、あなたが私のために死んだら、あなたの父母はまさに溝に転落することになるだろう。あなたが私のために礼を尽くしたことはすでに手厚い。あなたは帰って父母の生涯を全うせよ。今後もし事があれば私はあなたとともにこれを図ろう。」
明くる日、軍にとなえて言った
「兄弟が四、五人いて、皆ここにいる者は告げよ」
王はみずからこれに命じて言った
「わたしは大事をなそうとしている。あなたが兄弟四、五人いて、みなここにいれば、事がもし勝たなければ、滅亡してしまう。あなたのなかで帰ろうとする者を一人選べ」
明くる日、軍にとなえて言った
「目がくらむ病があるものは告げよ」
王はみずからこれに命じて言った
「わたしは大事をなそうとしている。あなたが目のくらむ病があれば帰って止まれ。今後もし事があれば私はあなたとともにこれを図ろう。」
明くる日、軍にとなえて言った
「筋力が軍事にたえるに足らず、志と行いが命を聴くに足りない者は帰って、告げることがないように」
明くる日、軍を遷して上下が親しみ和したところで、罪ある者を斬ってとなえて言った
「このように志と行いが果敢でないことがないように」
ここにおいて、人々は死の覚悟を決めた。王はそこで官吏に命じて軍にとなえて言った
「おまえたちが、帰れといって帰らず、止まれといって止まらず、進めといって進まず、退けといって退かず、左に向けといって左に向かわず、右に向けといって右に向かわないなら、その身は斬られ妻子は売られることになる」
ここにおいて呉王は軍隊を起こして江北に陣をはり、越王は江南に陣をはった。越王はそこでその軍を二つに分け、左右軍とし、その私卒君子六千人をもって中軍とした。明くる日江で舟戦をしようと、日暮れになってから左軍に枚を銜えさせて江をさかのぼって五里のところで待たせた。また右軍にも枚を銜えさせて江を渡って五里のところ待たせた。夜中に左軍と右軍に江を渡り鼓を鳴らして江の中央で待たせた。呉軍はこれを聞いて大いに驚き、言った
「越人は分けて二軍をつくり、我々の軍を夾撃しようとしている」
そこで夜明けを待たずに、またその軍を中分し、越を防ごうとした。越王はそこで中軍に枚を銜えさせて口をつぐませ、鼓を鳴らさず、騷がずにこれを襲撃させたので、呉軍は大いに敗れた。越の左軍と右軍はついに江を渡りこれを追いかけ、またこれを大いに没で敗り、また郭外でこれを敗って、三度戦って三度敗れ、呉に至った。越軍はついに呉国に入り、王宮を囲んだ。呉王は恐れて、人を使わして和平をさせようとして、言った
「以前、私が先に越君に裁きを委ね、君は私に告げて和平を請い、男女は服従しました。私は越の先君との友好をいかんとすることもなく、天の不祥を恐れ、あえて祭祀を絶たず、君に和平を許して、今に至りました。今私は不道で、罪を君王に得て、君王はみずから私の国にかたじけなくなさいました。私はあえて和平を請い、男女は服従して奴隷になりましょう」
越王は言った
「昔、天が越を呉に賜ったのに、呉は受けなかった。今天が呉を越に賜ったというのに、私が天の命を聴かずにあなたの言うことを聴くことがあろうか」
そこで和平を許さなかった。よって人を使わして呉王に告げさせて言った
「天は呉を越に賜った。わたしはあえて受けないということはしない。民の生きるのは長くはないので、王は死なないように。民の地上に生きるのは仮住まいであるので、どれくらいの時があろうか。私は王を甬句東に送り届け、そこの夫婦三百人はただ王の安心する者ばかりなので、王は生涯をそこで終えなさい」
夫差は辞退して言った
「天はすでに禍を呉国に降し、前後ではなく、私自身に当たり、実に宗廟社稷を失いました。およそ呉の土地人民は、越がすでにこれを所有しています。私はどうして天下を視ることができましょうか」
夫差はまさに死のうとするとき、人をして子胥に告げさせて言った
「死者が知らなければそれでおわるが、もし知るならば、私はなんの面目があって員にまみえようか」
ついに自殺した。越は呉を滅ぼした。上方の中国を征服して、宋・鄭・魯・衛・陳・蔡の珪璧を執る君主が皆入朝した。ただよくその群臣に下り、その謀を成した故である。