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2014年2月24日

文献に見られる范蠡③ 『韓非子』説疑

若夫后稷・皋陶・伊尹・周公旦・太公望・管仲・隰朋・百里奚・蹇叔・舅犯・趙衰・范蠡・大夫種・逢同・華登、此十五人者為其臣也、皆夙興夜寐、卑身賤體、竦心白意、明刑辟・治官職以事其君、進善言・通道法而不敢矜其善、有成功立事而不敢伐其勞、不難破家以便國、殺身以安主、以其主為高天泰山之尊、而以其身為壑谷釜洧之卑、主有明名廣譽於國、而身不難受壑谷釜洧之卑。如此臣者、雖當昏亂之主尚可致功、況於顯明之主乎。此謂霸王之佐也。(説疑)

あの后稷・皋陶・伊尹・周公旦・太公望・管仲・隰朋・百里奚・蹇叔・舅犯・趙衰・范蠡・大夫種・逢同・華登のごとき、これら十五人の者の臣としてのありかたは、みな朝早く起きて夜遅く寝て、身を卑しくし体を賤しくし、心をつつしんで意を清らかにし、刑法を明らかにし、官職を治めて其の君に事え、善言を進め、道法に通じてその善を誇らず、功を上げて事をなしてもあえてその労を誇らず、はばからずに家をつぶして国家の便宜を図り、身を殺して主を安んじ、その主を高天や泰山のように尊くし、その身は谷間や低地に卑しくし、主が国に名声を明らかにし名誉が広まれば、その身は谷間や低地の卑しさにあることを厭わなかった。このような臣は、乱れた君主に当たってもその功績をなすことができる、賢明な君主ならなおさらである。これを霸王の佐というのである。

 

范蠡と文種が名だたる功臣たちと併記されて「霸王の佐」として扱われています。
かなりベタほめです。この篇が成立した頃には、范蠡の功績に対する高い評価がほぼ固まっていたようです。

文種は「大夫種」と書かれています。
「大夫」が姓で名が「種」という説もあったみたいですが。

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